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まぶいぐみ連続写真展vol.18 兼城淳子&山本英夫

まぶいぐみ連続写真展 vol.18 兼城淳子&山本英夫 (好意的拡散、歓迎)

日時:2017年8月19日~27日(21日はお休み) 11時~18時

会場:ギャラリー ラファイエット 沖縄市中央4-1-3 2階 ℡ 070(5691)9008

〇http://rougheryet.blogspot.jp/

兼城淳子:『命と暮らしを守る沖縄の闘い―辺野古・高江・普天間』

山本英夫:『琉球諸島に忍び寄る黒い闇―与那国島・石垣島・宮古島を巡って』

〇兼城さんは辺野古・高江・普天間を撮ってきた大先輩。今回、偶然にもご一緒することになりました。これまでの辺野古・高江・普天間から今日の与那国・石垣・宮古を通観すれば、また違った視点が湧き出てくるでしょう。是非ご覧ください。

〇8月26日(土)14時~トークイベントを開催します。兼城さんとお二人で。

〇長ったらしい案内文を添えました。

山本英夫写真展『琉球諸島に忍び寄る黒い闇-与那国島・石垣島・宮古島を巡って』 

 私が与那国島・石垣島・宮古島に注目したのは2010年に閣議決定された防衛計画大綱に「南西方面重視政策」が書き込まれたからです。日本政府は、「動的防衛力」を打ち出し、新たに陸上自衛隊の駐屯地を島々に新設し、対中戦争を想定し島々から全国展開を可能にする、「力の政治」を打ち出しました。辺野古・大浦湾の新基地建設に反対する立場から撮影を続けてきた私は、この背景に「南西方面重視政策」が重なっていると確信したのです。

 こうして私は2011年6月以降、与那国島、石垣島、宮古島に通い続けてきました。特に、与那国島は小さいながらも、フォトジェニックな島で、ほれ込みました。ところが国は島民の反対の声を押し潰し、16年3月与那国駐屯地を新設し日本最先端のレーダー基地を稼動させました。また、石垣島、宮古島でもその正体を隠しながら、基地建設を進めています。

 海と森、牛と馬との暮らしなど各島々の変貌を私なりに追ってきました。私たちの未来を暴力に託さずに生きていきたいですね。

プロフィール:1951年東京生まれ、世田谷育ち。フォトグラファー(自然写真・報道写真) 1989年から基地の島沖縄を撮り始める。12年、13年のオスプレイ強行配備をうけ、また新基地建設の本格化を前に、13年10月名護市に居を移す。沖縄を巡る写真展を2005年以降、6回開催。14年6月以降、ブログ「ヤマヒデの沖縄便り」を日々更新中。

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宮古島 航空自衛隊野原駐屯地 アンテナ改修工事に伴なって分厚いコンクリの構造物が造られた。何のため? (16年11月7日 撮影:山本英夫)

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旧南牧場が与那国駐屯地になり1年。今年も子馬が生まれていた。(17年4月21日 撮影:山本英夫)

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石垣空港 突然陸上自衛隊のヘリが下りてきた。那覇基地・石垣空港・与那国空港が軍事ラインで結ばれているのだろう。(17年4月23日 撮影:山本英夫)

2017年8月20日 (日)

夕方、帰り際に

 2017年8月20日、沖縄市からの帰り際に、数日ぶりの撮影。サンセット・シティ。

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太陽が沈む。慌てて、1枚。よく見ると、右手前に電燈があり、これに太陽が写っています。ここにピント。一瞬で、お隠れになりました。18時51分。
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沖縄高速の沖縄南インター前。街中だと人工物を避けられないので、敢えていれるしかない。自然光と人口光を意識して。信号をもうちょい右にしたいが、交通量が多く車道に飛び出すのは危険。まぁいいか。
帰宅したら21時をまわっていました。

写真展、無事に始まりました

 写真展、静かに始まりました。無事に始められて何よりでしたが、もっともっときてください。宜しくお願いいたします。

 会場は、国道330号と国体道路の間、パークアベニュー沿い。虹の家の2階です。330号から入ると(一方通行)案外奥です。
 分からないときは、会場の電話 070(5691)9008へ。
 

2017年8月19日 (土)

写真展「琉球諸島に忍ぶ黒い闇」開催(挨拶文)

 今日から8月27日(21休館)日まで沖縄市のギャラリーラファイエットで上記の写真展を開催します。可能な方は、お立ち寄りください。尚、私は不在のこともありますので、その際はご容赦を。

 以下に会場に展示する挨拶文を添付します。

  ご来場の皆様へ-写真展『琉球諸島に忍び寄る黒い闇-与那国島・石垣島・宮古島を巡って』に寄せて

 山本英夫(フォトグラファー/名護市在住)

  ご来場いただき、まことにありがとうございます。まず、私の自己紹介。私は1951年東京生まれ、世田谷育ち。67年、千葉県江戸川河口の当時日本列島最大規模の干潟-野鳥の渡来・生息地を守る運動を始めました。しかし地元の農漁民は「野鳥を殺せ!」と金権に走ったのです。時を隔てて2004年、私が沖縄の辺野古の海で見たものは、海を埋立る国に荷担する多くの海人の姿でした。この寒々しい既視感を私は忘れません。

  私が「基地の島 沖縄」を撮り始めたのは89年。04年を経て、辺野古・大浦湾の取材を集中的に行なってきました。13年10月、名護市に居を移したのは、沖縄を地元として、もっと身近に撮るしかないと痛感したからです。

  私が与那国島・石垣島・宮古島に通いだしたのは、米国政府が「在沖海兵隊のグアム移転」と言い始めて数年が経った11年。私は気づいたのです。辺野古と島々を巡る動きが連動していることに。日本政府は10年12月、新たな防衛計画大綱を作成し、「動的防衛力」を掲げ、「島嶼部における対応能力の強化」を打ち出していたのです。これは、沖縄島を前進拠点に、島嶼部を最前線に想定しています。さらに13年12月、安倍政権が再改定。与那国島への駐屯地新設の可能性が高まったこともあり、もっと露骨に具体的に。こうして、与那国沿岸監視隊が16年3月、新編されたのです。

  島の未来を考える過半の与那国の島人は、反対していました。しかし島の経済的衰退・人口減の中で、町政が掲げた自衛隊誘致による島の活性化が逆転。予定地とされた南牧場の農業生産法人が分裂し、押し切られました。13年8月の町長選、建設工事の渦中の15年2月の住民投票の結果が誘致を追認する結果になりました。17年8月の町長選は、反対派は候補をだせず、誘致派同士の対決になり、現職が勝っています。

  日本政府は、石垣島、宮古島、奄美大島に陸上自衛隊の駐屯地を新設し、対空ミサイル、対艦ミサイル部隊も置く計画です。さらに、「島嶼奪還作戦」と称し、琉球諸島を戦場にする構えです。各島々では、基地建設に反対する動きも活発になってきましたが、誘致派の首長の壁もあり、国に苦戦が強いられています。

  今、命溢れる美しい島々が生き残れるのか、黒い闇に包まれてしまうのか、その瀬戸際に立たされています。最悪の場合、島々が戦場にされかねません。そのときは、沖縄島も同様です。何故ならば、ここに基地があり、対中包囲網は米日の共同の意思だからです。

  私は小さな島を直視することを通じて、私たちの未来を切り拓くことに繋がりたい。写真を、人と人が繋がる環にできないかと考えます。共に、命どぅ宝!

これから写真展です(17年8月19日)

 今朝は3時起き。実は昨日の時点ではキャプションと挨拶文が未完成だった。これを全部完成させ、工作も済ませた。

 今回色々とやってみて、体力は後退しているが、それに見合うやりかたをすれば、まだ無理はきくと実感。
 写真ばかりは、撮ってないものを展示できない。だが、自分の課題が見えた。与那国島・石垣島・宮古島と考えると、辛い。辛すぎる。一見美しいものの中に孕んでいる危うさすらあるのだ。写真を振り返りながら、牧場が削られてできたことを思い起こした。亡くなった方もいる。選挙に負ける。分断を超えられない。単純な話なのにな。
 張子のトラならば、ただの税金の無駄遣い。やめてしまえ。マジにやるならば、戦争に巻き込むな。島を、海を対立の場にするな。
 私が沖縄島で与那国島・石垣島・宮古島のことをやるのは、沖縄の中の分断を繋げたいとの意図もある。辺野古とひとつながりだということ。
 この1週間の展示で、何かを伝えられればいい。頑張ります。
 会場が沖縄市内なので、ついでにいろいろとやれたらいい。今夜はエイサー祭り。これを撮ってくる。楽しい撮影も、もっとあってもいい。人間も撮りたいし。
 
 それにしても、基地のない、基地の話題のない島に行ってみたい。基地のことを考えない暮らしをたまにはしてみたい。

2017年8月18日 (金)

写真展示できた!

 今日17年8月18日、4時40分起床。まだまだ額装できておらず、頑張りました。8時20分完了。お迎えのYさんから電話が入り、ちょっと待ってもらい、沖縄市に出発。

 場所が分からず探したが、無事に着いた。思ったより、いい感じのギャラリーでした。兼城さんと場所を2つに分けて、展示作業開始。事務所のAさんの協力を得て、スムースに仕上がった。久しぶりに壁に 並ぶ自分の写真。今回どう並べるか細部を考えていなかったが、壁面とぴったり合って、ほっとしました。
 兼城淳子さんのは2004年からの辺野古などのもの。懐かしい顔がたくさん。亡くなられた方の多いこと。私もこの10年、20年係わってきて、感慨を覚えます。
 
 明日、あさっては、私、11時から18時まで会場におります。皆様とお会いできることを楽しみにしています。辺野古テント村の皆様には、いつも感謝しています。ありがとう。

2017年8月17日 (木)

いよいよ明日展示なんだけど

 いよいよ準備期間は今日1日のみ。従来であれば1週間ぐらいかけるキャプション書きをたったの5時間で終わらせた。補足分の12枚(大型パネル3枚に)を張り込んだ。プリント1枚に不備があり、やりなおした。あとは25枚の額装だ。そして挨拶文。

 最近は徹夜してやる体力はないので、ほどほどにして、最悪の場合、早朝から続きをやる。自分へのご褒美に、マンゴーと梨を買ってきた。細かい仕事は、ちょっとした油断で大失敗になりかねないから、気を抜けない。ふー。ながら族なんか無理、無理。学校の試験勉強とは分けが違う。
 補足分の12枚を張ったが、思いのほか良い。与那国・石垣・宮古らしさを出せた。問題は基本の写真とうまく重なるかだ。自分ながらお楽しみ。
 がんばります。

今日の昼すぎに2機が飛ぶのを見た(17年8月17日)

 今日17年8月17日は写真展に向けた作業のため自宅に。13時過ぎに食事に出た。上空に轟音。厚い積雲の上でなかなか見えない。大型の白っぽい4発のジェット。RC-135だろう。名護市街を南へ。嘉手納に帰るのだろう。13時33分。

 するとまた音がする。13時42分、本部半島方面から東へ。てっきり大浦湾に抜けるかと思ったが、右旋回。MC-130特殊作戦機1機。高度も並みの高度。嘉手納方面に南下。写真機などもっていなかったので、前者はやや怪しい。参考程度に。
 暫くは朝鮮半島に向かう飛行機、軍艦の動向に注意が必要だ。米国・トランプは口先だけじゃないぞと、即応体制をとっているのだ。来週から米韓合同演習が始まる。ますます要注意だ。
 お互いに頼むから、軍事挑発をやめろ。破滅的な混乱を招くだけだ。

上空の飛行機の通過に神経を尖らした(17年8月16日)

 2017年8月16日 警戒船は通常通りでている。税金の無駄使い! 巡視船も1隻いる。無駄、無駄。

 ゲート前も海上行動もなし。タダタダ暑い。テントの下に居ても、泣きが入るほどの暑さ。本も読めない。
 しかし上空に幾度となく戦闘機以外の音が流れてくる。確認に外に出るのも億劫なほどの暑さ。動きも鈍くなる。
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嘉手納方面に向かう kc-135空中給油機。11時45分。ご帰還だ。
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テントの真上を通過。護岸の上で、90度を超えて構えるのは危険。(私が)落ちる。13時9分。国籍不明のプロペラ機。
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今度はRC-135電子偵察機。13時30分。嘉手納にご帰還。昨日のこいつの通過タイムは14時12分。今日のほうが42分早い。
15時30分頃からK1護岸工事現場で重機が動いた。ユンボで石を奥(辺野古崎側)に動かしている。明日からの準備か。
 昨日(8月15日)大浦湾で潜ったY船長の話と動画によれば、今年もサンゴの白化現象が始まっているようだ。暑さでサンゴもまた被害がでている。注目していきたい。しかしサンゴの海は魚も多くて、きれい。命の海を守りたい。

当たり前のことをやっていこう(17年8月17日)

 17年8月14日に小野寺防衛大臣が沖縄に来て、翁長知事と30分の会談をしたが、中身は0(既報)。ただただ沖縄の怒りを聞き置きました、これだけ。戦後日本政治は米国の手先として歩みだしたので、政権が向いている方向は米国と利権を生み出す企業だけ。だから、こんなものなのだ。

 しかし、これでいいわけがないのだ。沖縄は沖縄の歩みの中で、今、翁長知事を生み出し、オール沖縄会議を生み出してきた。私が思うに、各地で起きている問題に対して、それぞれこうしたつみあげをしていくことが、不可欠だ。新潟は新潟で始まっているし、他にも各地でこうした流れを作り出してほしい。
 野党共闘の動きもこうした地道な活動に担保されてこそ意義をもつ。選挙だけのうわべだけで変わるわけがないのだ。まして民進党が怪しくなっている昨今だから、外見の前に基礎を固めるべし。
 
 また、マスコミのあり方は、権力に寄り添うだけでいいのか。政権の問題点を問う記者がいないらしい。これでは、ジャーナリズム以前の話だろ。こうしたなかで、東京新聞の社会部記者の望月衣塑子記者のがんばりが伝えられたが、こうした質問をするのはごくごく当たり前のことだ。それを突出しているように揶揄したり、過大評価するのも問題だ。
〇望月さんインタビュー http://gekkan-nippon.com/?p=12530
 ジャーナリズムの流れをまともにしていくことがこれまた大切だ。私たち一人ひとりが関心をもち、批判したり応援しなければなるまい。ご本人に、会社に私たちの声を届けていこう。またあちこちで批評していこう。
 因みに投書は有効だろう。もし載らなくても社内に民の声を届けることができる。またこの内容をブログで公表したり、知り合いの記者にメールしたりできるはずだ。私たち自身が可能なことを積み上げていこう。
 

2017年8月16日 (水)

8月19日から開会の写真展準備が迫る-大車輪にGO!

 今回の写真展が決まったのが、7月下旬。なんと1か月足らずで開会へ。今回の展示作品は25枚(4つ切りワイド板)+補足として与那国・石垣・宮古から各4枚(A4)の計、37枚。

  今夜までにすべてのプリントが完成。明日、額装。大急ぎで今夜からキャプションを書き、挨拶状を書く。いよいよ大車輪展開に。頑張るぞ!
 先日新たなパネルを手にしたら、これは重い。とても手で持ち運ぶのはきつい。運搬を急遽Yさんにお願いした。撤収の27日はSさんに。今夜は買い物先から1時間ほど歩くつもりだったが、途中でKさんにばったり。20分余り時間の節約に。そのうえ、是非見に行きますと。
 
 始まってしまえば、あとは何人がきたか。問題はこの一点に。与那国・石垣・宮古のことがひとりでも多くの方に伝われば、幸い。反響は如何に。私は会場に19日と20日、26日はフルに11時から18時まで居るが、22日から25日と27日はパートタイムの予定。詳細が決まれば、当ブログに上げておきます。お待ちしています。

小野寺防衛大臣との公開対話-「丁寧な説明」にきた?

 小野寺防衛大臣が17年8月14日に沖縄に来た。翁長沖縄県知事と30分の会談。丁寧な説明に来たというが、何も明らかにせず。できず。

 そうだろう。新基地建設を強行し、オスプレイを飛ばすことが第一義なのだから。その前提が米日同盟第一義論。
 大臣が低姿勢だからいいのか。そんなはずがない。ウソと外見で、ごまかそうというだけだ。これに対して、知事は言うべきことをしっかりと言っている。
 
 安倍政権が米国のなすがままならば、早晩、米日事故同盟になるだろう。事故同盟が戦争同盟なのだから、呆れてはいられない。私は事故も戦争も決して許さない。先ずは北海道でのオスプレイを使った共同演習をやめさせなければならない。

2017年8月15日 (火)

キアシシギの渡りの第一団が来ている(17年8月15日)

今日2017年8月15日の午前、私は写真展の準備作業に忙殺された。無事に予定を完遂。

 午後から辺野古テント村に。晴れ。タダタダ暑い。風はあるのに。工事は止まっており、来訪者は少ない。
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14時12分。南西に飛ぶRC-135電子偵察機。嘉手納に降りるようだ。最近定番の飛行だ。こいつと空中警戒管制機の飛行は要注意だ。東シナ海と日本海をまたぐ周辺で行動しているに違いない。また、如何なる機種とタッグを組んでいるのかにも要注意だ。
15時15分、テント前の汀線にキアシシギ1羽。気温は暑いが、渡りが始まっているようだ。
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私が居るところから20mの距離。近い! 今日は小潮だから汀線が近いのだ。周囲は静かだし。
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カニを捕まえている。すばやい動作。15時52分。
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15mを切った場所。テントの目の前。
今日は暑かったけれど、終わりよければすべて良しと。

明日(17年8月16日)もシュワブ内での基地建設工事はなし

 今日入ってきた情報によれば、沖縄防衛局は、明日も基地建設の工事はしないようです。よって、ゲート前での座り込みも、16日まで解除。ゲート前も海上の行動も中止です。お間違えのないように願います。

 なお、辺野古テント村は8時~16時まで開いています。お立ち寄りの際は、漁港脇のテントまで。

沖縄タイムスに写真展の寄稿文が載った「命溢れる島々 伝える」

 今朝(17年8月15日)の沖縄タイムスに、来る8月19日から始まる写真展の寄稿文が掲載された。題して「命溢れる島々 伝える」。

 字数は1000字。この1000字に私の50年と沖縄に係わってきた28年、与那国・石垣・宮古に係わってきた2011年以来の6年の思いを籠めた。
 今回、降って沸いたようにこの企画をいただき、ありがたくも、また苦戦しているが、書くことで、現状に負けない自分を見出さなければと、叱咤激励されているようだ。多くの皆様にご来場いただきたい。

小さな島々を視ることから私たちの未来を考える-写真展『琉球諸島に忍び寄る黒い闇-与那国島・石垣島・宮古島を巡って』に寄せて 

                   山本英夫(フォトグラファー/名護市在住)

  来る17年8月19日~27日(21日休館)、沖縄市のギャラリー ラファイエットで、「まぶいぐみ連続写真展vol.18」として、兼城淳子さんの『命と暮らしを守る沖縄の闘い-辺野古・高江・普天間』と同時開催で、私の『琉球諸島に忍び寄る黒い闇-与那国島・石垣島・宮古島を巡って』を開催します。

  先ず私の自己紹介。私は1951年東京生まれ、世田谷育ち。67年、千葉県江戸川河口の当時日本列島最大規模の干潟-野鳥の渡来・生息地を守る運動を始めました。しかし地元の農漁民は「野鳥を殺せ!」と金権に走ったのです。時を隔てて2004年、私が沖縄の辺野古の海で見たものは、海を埋立る国に荷担する多くの海人の姿でした。この寒々しい既視感を私は忘れません。

  私が「基地の島 沖縄」を撮り始めたのは89年。04年を経て、辺野古・大浦湾の取材を集中的に行なってきました。13年10月、名護市に居を移しました。沖縄を地元として、もっと身近に撮るしかないと痛感したからです。

  与那国・石垣・宮古に私が通いだしたのは、米国政府が「在沖海兵隊のグアム移転」と言い始めて数年が経った11年。しかし日米政府は「沖縄・辺野古移転」に固執していました。日本政府は10年12月、新たな防衛計画大綱を作成し、「動的防衛力」を掲げ、「島嶼部における対応能力の強化」を打ち出しました。沖縄島を前進拠点に、島嶼部は最前線に想定されています。更に13年12月、安倍政権が再改定。与那国島への駐屯地新設の可能性が高まったこともあり、もっと露骨に。与那国沿岸監視隊が16年3月、新編されたのです。

  島の未来を考える過半の島人は、反対していました。しかし島の経済的衰退・人口減の中で、町政が掲げた自衛隊誘致による島の活性化が逆転。予定地とされた南牧場の農業生産法人が分裂し、押し切られていきます。13年8月の町長選、建設工事の渦中の15年2月の住民投票の結果が誘致を追認。

  こうして美しい海に囲まれた島の南牧場は消されましたが、馬は今でも周辺で生きています。石垣島でも宮古島でも国に苦戦が強いられています。命溢れる美しい島々が生き残れるのか、黒い闇に包まれてしまうのか、その瀬戸際に立たされています。最悪の場合、戦場にされかねませんが。そのときは、沖縄島も同様でしょう。

  私が写真で提示できることは微々たるものです。それでも、これらの島々が命溢れる島であることを伝えていきます。私は、小さな島を直視することを通じて、私たちの未来を切り拓くことに繋がりたい。多くの方々のご来場をお待ちしています(以上原文。新聞の掲載文は若干の訂正を施しています)。

2017年8月14日 (月)

静かなのだが、色々な動きが見えた一日(17年8月14日)

2017年8月14日 晴れ 工事もなく、抗議行動もなく静か。

テント前。
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何の跡? ツノメガニ
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彼がツノメガニ(オス)
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大阪の方が作ってくださった風鈴
10時頃から水陸両用装甲車が出てきた。
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10時57分。海に出た。
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テントの上を南西方向に飛ぶkc-130空中給油機。嘉手納に向かうのか。
12時頃、装甲車を撮りに行く。8両+大型トラック1+小型トラック1+給水車1.
12時13分 今日も空中警戒管制機1機がやや高い高度を飛んだ。北東へ。
13時55分。辺野古沖合いに巡視船1.PL03くだか。
K1護岸の汀線上で重機が動いている。15時48分。明後日からの工事の準備が始まったようだ。
 今日の来訪者は2グループのみ。風があって比較的涼しかった。
〇画像が上がらず、後半カット。すいません。

昨日、自宅近くでリュウキュウアサギマダラを見た

 昨日(17年8月13日夕刻)、自宅近くでリュウキュウアサギマダラを見た。これは与那国・石垣・宮古では普通に見られるが、名護市街ではそれほど多くない。

 自分が今、与那国・石垣・宮古に挑戦しているので、ご挨拶にきてくれたのだろうか。ありがたく、うれしいことだった。
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ご覧の通り、リュウキュウアサギマダラは地味。アサギマダラのほうがよほど派手。こちらは地味だが見慣れてくると、なかなかナイスなのだ。

8月12日の県民大会を1面で報じたのは東京新聞のみだった

 今日(17年8月14日)の沖縄タイムスに8月12日の県民大会を1面で報じたのは、東京新聞のみだったと報じられている。これが事実だとすれば、悲しいというしかないが、日本のメディアの現状を曝している。

 東京新聞は、ローカル紙であるが、民主主義を基調にした報道姿勢を概ね保っている。沖縄の基地問題が沖縄問題を超えていることを承知している。また戦後日本の政治が隠然と安保問題を機軸に行われてきたことを理解している。私もかって東京新聞の読者だったので、こう理解している。
 
 他紙は、どうなのか。朝日・毎日もこれがまるでだめ。1973年以降、意図的に安保問題を避けてきた。沖縄問題としてしか認識できないので、中途半端だ。住民自治の観点もまるで弱い。またか。
 他のローカル紙の具合は十分に分からないが、共同通信が現場に来ていたので、各社に配信したはずだ。ローカル紙の場合、それぞれの地域性が安保との繋がりの多寡を決めるのだろうが、オスプレイの全国的な展開などを追っていれば、もっと書きようがあるはずだ。まして今、朝鮮半島に圧力を強めている米国と安倍政権の暴走をとめなければ、各地の生活が危ういものになりかねないのだから。無論、北朝鮮の政権にもいい加減しろと言わざるをえない。
 
 沖縄外の皆さんができることは、こんなこともあるのだ。皆様にお願いしたいことは、各紙の報道姿勢を問うてほしい。読んでどうだったのか。

2017年8月13日 (日)

翁長知事を支え、辺野古に新基地を造らせない8・12県民大会

 17年8月12日の大会は、辺野古新基地を造らせないオール沖縄会議の呼びかけで、45000人の参加を得て行なわれた。会場の那覇市奥武山陸上競技場は、焼け付くような日差しがさしていたが、人々の熱気がこれを制した形だ。

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会場入り口。13時7分。宮古・石垣の方々が離島の島々に新基地を造らせないと情宣。
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開会はオール沖縄会議共同代表の高里鈴与さんが県民一丸となって闘おうと挨拶。
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同じく玉城愛さんが発言。昨年の若き女性への事件を一日も忘れていないし、必ずや新基地建設を止めようと訴えた。
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同じく高良鉄美さんは、憲法学者らしく、70年経っても沖縄は「捨石状態」だと明言。生きる権利を求める県民がこんなにいるのだと、訴え続けようと。
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次に発言にたった山城博治さんは朝鮮半島を巡る緊張、対中包囲網を巡る中で建設が進む与那国・石垣・宮古についても言及。政府に政策転換を求めようと。
以下、糸満、宜野湾、石垣、宮古などの代表も発言。
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オール沖縄第2次訪米団として8月16日~24日米国西海岸を訪ねる訪問団が決意を表明。会場は一層の熱気に包まれた。
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稲嶺進名護市長はウチナーグチと政府への冗談交じりに地元である名護市から頑張ると。
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翁長知事は、県民の主張はいささかも替わらないと述べ、不退転の決意で闘うときっぱり。岩礁破砕許可を巡る裁判から、埋立許可の撤回を必ずやると明言。
 最後にオスプレイの事故に抗議し、普天間基地の即時閉鎖・撤去を求める決議と大会宣言を採択した。
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最後にオスプレイ撤去の決議を提起する安次富浩さん。
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団結ガンバローがこだまする。
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会場一杯の人々はあらためて新基地建設を許さず、オスプレイの撤去を求める意思を固めたのだった。
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集会終了直後、海上行動のメンバーは、翁長知事と稲嶺市長を激励すべく会場前面に立った。
(他に城間幹子那覇市長、野口昌春北谷町長、福山真劫総がかり行動実行委員会代表も発言しています)

武力に頼らない平和を米国の平和団体の方から聞いた

  2017年8月11日、辺野古テント村に米国最大の平和団体「ピースアクション」の政策担当ディレクター、ポール・マーティンさんが来訪。

 安次富浩ヘリ基地反対協議会共同代表とも意見交換していた。
 
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テント前で。
 彼の意見をあらためて聞いたら、核軍事力と言う兵器体系では人間の安全保障は守れないと、明言。軍事力に替わる貧困等を解決していく別のあり方が重要だと。
 別に新しい主張ではないのだが、この米朝関係の緊張が高まる中での、新基地建設が強まる中での発言に、私は大いに納得した。米国人の中にもこうした全うな人は居るのだ。
 軍事力の強化で得をするのは、軍事産業(幹部)と献金をもらえる一部の政治家や官僚のみ。どちらの国が戦争に勝っても負けても、百歩譲って国の話。個人ではない。命を国に捧げて、報奨金をもらっても、死んだら何も残らない。残せない。
 国の意のままに動かされることを拒否できなければ、地獄に突き落とされるのは私たち。ただここが難しい。平時からお金を掴まされて、権力・軍事になびくひとびとをどうしたら変えられるのか。
 非戦・非暴力を貫くことは、思想の問題であり、歴史認識の問題であり、哲学の問題であり、新たな経済の問題。大きな経済を求めない、信頼と友愛を目指す。
 大きな経済を求める政治からの脱却を図れなければ、にっちもさっちも行かない。大国から学ぶ時代は、とっくに終わっているはずだ。大国である米国人の心ある人々は、自らの歩みを反省の素材にしているから、強いのだろう。こう考えると日本人の反省は、難易度が高いのだろう。2重の支配からの脱却が求められているからだ。

小さきことの可能性(17年8月13日)

 昨日は、帰宅してからさすがに疲れていたらしく、飯も食わずに寝てしまった。マンゴーの写真は深夜に。まだ画像を上げられない不安があり、そろそろとあげてみている。そんなこともあって、12日の県民大会の報告は後回しになっている。

 
 沖縄タイムスに「新基地阻止 諦めぬ」と多くの紙面を割いている。なかでも、初参加の人の思いが描かれていて、泣けてくる。一人ひとりの思いを生かしていくような取り組みが重要だと、あらためて思う。負けてはいられない。
 沖縄タイムスの投稿欄に若者欄があるのだが、ここに群馬県から環境科がある大宜味村の辺土名高校に入学したという高校生の投書が載っていた。そんなことができる時代なのだねと、私はびっくり。
 私の高校時代は50年前だが、「環境」なる言葉はなかった。今でこそ「エコロジー」は様々な意味合いで曖昧に使われているが、当時は「生態学」の意しかなかった。私は自然環境を守れなければ、人類の未来はないだろうと思っていたので、中学時代に野鳥観察を始め、高校時代に自然保護運動に乗り出し、生態学を学びたかったが、理学部に入れず頓挫。
 この投書人がこれからどうなるか分からないが、興味深い(がんばって)。50年前と違って、関連分野は様々に拡がっている。安保・基地問題が硬直したままなのとは、ちょっと違う。しかし世界を軍事大国米国が牛耳っている限り、大きくは変わっていないともいえる。だがここでも地域から変化の兆しがでてきていることも確実なことだ。
 私は地域からの小さな変化に可能性をみたい。こうしたことが押しつぶされないようにカメラワークを投入していきたい。まだどうしたら可能なのか見えていないことが多いが、小さいことへの拘りは、案外でかい意味をもっているのかもしれない。
 
 

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