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2017年4月 5日 (水)

『戦場が見える島 沖縄』(嬉野京子著)を読んで

「戦場が見える島 沖縄-50年間の取材から」 嬉野京子著 2015年9月発行 新日本出版社刊 

 嬉野京子さんは沖縄を撮ってこられた大先輩に当たる。年齢はともかく、嬉野さんは、1965年から。私は89年から沖縄を撮影。この差は余りにも大きいことだと、本書を拝見して痛感させられた。

 本題に入る前に、私と嬉野さんとの出会いを少々。昨年、嬉野さんは某旅行社の沖縄ツァーの案内人で辺野古テントにお出でになった。写真家の誼で、私が皆さんにお話した。帰り際に、暖かい握手をしっかりと交わすことができた。それ以来のお付き合いである。

 さて本題に入ろう。本書は3章から成る。①米軍占領下の沖縄で、②「祖国復帰」の前と後、③再び「島ぐるみ」となったうねり。

 本書の核心は、第1章。米軍占領下の現状が嬉野京子さんの目を通して描かれている。そもそも当時の報道写真家に沖縄に入るパスポートは下りなかった。そんな中での初めての沖縄行き。最初から最後までスリリングだ。「カメラを持っていると命の保障はない」といわれた当時。衝撃的な1枚の写真を記録した嬉野さん。65年4月20日、宜野座村漢那で。米軍車両に轢き殺された幼児を撮ったのだ。しらっとした米兵の顔。昨年末のオスプレイが落ちたときの米兵の顔に通じるものがあると私は思う。

 65年~67年当時の私は中学・高校生。同時代の中学生・高校生の写真に興味を覚える。沖縄返還に敏感だっただろう沖縄の同年代の人たち。対して私は、野鳥観察から新浜(自然保護)運動に全力の時代を過ごしていた。ここで見えていたことと、全く見ていなかったこと。

 「祖国復帰 われらは日本だ。迷子ではありません」成るプラカードを掲げた先生と小学生の写真(65年4月)がある。当時の思いが滲み出ているようだ。しかし当時の沖縄を知りえていない私には違和感を拭い得ない。沖縄戦に追いやった大日本帝国から「平和憲法」を掲げた新生「日本国」へ。米国による異民族支配による沖縄への蹂躙。平和憲法への期待が高まるのは当然なのだが。当時の私は経済成長一辺倒で走る日本の開発・自然破壊を憂慮していた。まだ憲法やベトナム反戦も意識になかった。異次元を生きていたのだろう。

 第2章はいささか解説的。嬉野さんもこの時期はやや空白の時間なのだろう。後追い的な記述が続く。第3章は、95年9月4日の米兵によるレイプ事件が沖縄の自主・自立の胎動を生み出していく様子を記述。ここでは阿波根昌鴻さんとのことが興味深い。那覇まで来ているのに、何で伊江島まで来てくれないのという嘆き。阿波根さんは、50年代の伊江島から沖縄島全体の土地闘争に重要な役割を果たした。しかし、その後、伊江島では孤立していく。このへんのフォローアップが全くできていないことに今頃気づいて、慌てた私。

 反戦を訴えたアレン・ネルソンさんの話や具志堅徹さん(元名護市議)の話など興味深く読んだ。徹さんが京子さんを踏みつけていた(京子さんが伊江島から米兵に追われ、難を逃れるとき)話を読んで私は思わず笑ってしまった。そのときのご本人たちは、それこそ必死だっただろうに(無礼者!)。

 記録を撮り続けることは、事後に意味が出てくることもある。だから其の時、その後の感度を研ぎ澄ましていないとダメなのだ。嬉野京子さんという大先輩が表した本書は、一枚一枚の写真の中から、学ぶことがたくさんあることを示唆してくれる。皆さんもお手にとって、見て読んでいただきたい一冊だ。

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