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2017年6月23日 (金)

やっと帰ってきたと思ったら、インタネットが繋がらず(17年6月23日)

 昨日から糸満市に行っておりました。色々あって帰宅は21時過ぎになりました。さてメールをブログをと思ったら、接続できない状態に。電源等を切って、暫く間を置くことに。洗濯して、シャワーを浴びて、食事して。

 そう、ヤマヒデ予報部の「22日梅雨明け」の予報は、大正解。お陰で暑かったです。

 そして接続はできましたが、今度は情報の取得がへん。唸りながら待ったら、やっと正常に。一気に疲労感がでてきました。自宅の部屋も暑いし(冷房中)。

 今日の慰霊の日、私は慰霊祭には出ませんでした。会場にも行けなかった。喜屋武岬の平和の塔と、魂魄の塔での国際反戦集会に参加・撮影してきました。今年は大田昌秀さんが亡くなったばかりなので、「沖縄 平和の礎」(岩波新書)を読み直しています。同書の冒頭の「沖縄の平和と未来を考える」(琉大退官記念講義)で、如何なる学問をやってきたのかを問うています。その中に、柳宗悦(むねよし)のことに触れています。宗悦は日本民芸館を創立した人です。沖縄では1910年代に激しくなった方言撲滅の動きに公然と異を唱えたのです。「沖縄人はもっと自分の郷土に誇りを持つべきだ」とも言ったそうです。そして「沖縄の首里ほどすばらしい街はない。世界を回ってもこんな街はない」と。

 その首里が沖縄戦で破壊尽くされた。首里ばかりじゃない。あちこちが破壊尽くされた。

 実は柳宗悦は私の(母方の)大伯父です。これまで私の身近には沖縄戦で亡くなった方はおりません。それどころかあの15年戦争で殺された人も、いないのです。ダイレクトに戦争を想起しにくいのです。無論、これまでにあちこちの戦争の痕を訪ねています。体験者のお話も聞いています。宗悦(私達は「そうえつさん」と呼んできました)の方言論争について、何故公然と声を上げたのかを私なりに考えてきました。しかしここにあるような「首里の街」に自信をもてるでしょといったことを想い浮かばなかった。肯定を示すことに。

 今の新基地建設反対の声にも、郷土を守りたいの声は小さくありません。そういうことに共鳴できる自分がいれば、沖縄の人人の想いに近づけるのかもしれない。

 また母方の伯父に柳悦孝がいます(故人)。私は彼のことは承知しています。彼は織物の師でした。宗悦らと戦前戦後の沖縄に通い、沖縄戦で失われた織物・染織の復興に協力しました。沖縄の前を見る仕事をやっていたのです。沖縄県立芸大ができた数年間、教鞭をとっています。

 沖縄の前を見る仕事は、ますます重要になっているはずです。亡くなられた方々に思いをはせるとともに、前を見る仕事にも取り組みたいなと、今私は思案中。何ができるかはともかく、前を見る方向性は重要だと。

 権力が総力戦できている以上、私たちも総力戦です。非武の総力践。こんなことを歩きながら考えていました。

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