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2017年6月16日 (金)

6月の忘れられない記憶(電車の中で)

 6月、沖縄は今日も雨。空梅雨かと思っていたが、今週は降りっぱなし。1960年6月15日は国会で反安保闘争が大きく盛り上がる中で、樺美智子さんが警察官によって殺された(日米安全保障条約は6月19日に自動承認された)、忘れることのできない日だ。

 1951年生まれの私は、この日の記憶はない。1970年6月23日が私の反安保闘争の始まりだ。それから日付が過ぎて、92年6月14日はPKO法が強行採決された日であり、私の記憶に新しい。

 だが、6月の記憶の中で忘れがたい日が私にはある。個人的な記憶であり、こうしたブログに書くのは憚れるものだが、今これを書かずに、何時書けるのかと思うのだ。

 時は92年6月15日午前。PKO法が通ってしまって愕然としていた私は、遅い出勤になっていた。場所は東京の井の頭線の車中。吉祥寺から渋谷方向に向かう急行だったと思う。ラッシュ時は終わっていたが、急行なのでそこそこ混んでいた。無論私も立っていた。

 ぼんやりとしていた私だが、突然、近くの女子高校生の奇妙な顔が目に入った。どうもおかしい。苦しげに、必死に耐えているようだ。痴漢だと、私は直感した。無論私は彼女の周囲を見回した。厳つい男が脇に立っている。奴か? だが、手などが見えるわけじゃなし、「お前やめろ!」などと言えなかった。どうしたらいいのか、さっと思い浮かばなかったのだ。彼女は、次の永福町駅で、何とか降りたが、私ができたのは、この男が降りないことを見届けただけだった。

 暫くの間、何もできなかった自分を悔いた。申し訳ないとこの女子高生に頭を下げるだけだった。こうしたときに、いい方法はないものかと考えあぐねた。そして見いだした方法がある。証拠がなくても第3者ができる救援方法。こいつかと思しき男を、相手から遠ざければいいのだ。さりげなく間に入って、引き離す。混んでる車内だから、こちらが誤解されないように留意しながら、次の駅で降りやすい方向に誘導してあげるのだ。

 この方法を私は次の機会に実践した。さりげなく自分の足でその男の足を遠ざけてやった。手も足も届かない距離に切り離した。大正解だった。また、これは随分の後のことだが、女性が「痴漢!」と叫び、男の腕を掴んだのを察知した私は、逃げようとする男をがっちり押さえて、ホームに下ろし、駅員に引き渡したこともある。何事も経験なのだ。

 92年6月15日の記憶は、第3者である私ですら忘れられないのである。まして、被害にあった女性は、どうだったのか。忘れられるはずもないだろう。

 ここで教訓。はっきりしないから、怖いからと、見過ごすことなかれ。自分の身の安全も考慮しながら、毅然と実質的な対応をすればいいのだ。

 

 

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日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

  ありがとうございます。
 こういう知恵・工夫は、なかなかその瞬間出て来ない。だからこそ、様々なケースに対して、どうしたらいいかを日ごろから考えておくことは、非常に重要です。機転も、普段からの蓄積があってこそです。

たいへん有益な記事でした。どうすれば役に立つ動きができるか、参考になります。

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