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2017年9月13日 (水)

あきれ果ててもいられない

 この世の中にあきれ果てることが多すぎる。官邸の記者会見もそう。政府の宣伝の場に堕している。全うにものごとを質す記者がいないらしい。 「官房長官様 ハイそうですか」になっている。

 こんなんで記事ができるから、チョウチン記事しか生まれない。これが政治部主導の中央マスコミの実態なのだろう。官邸の記者クラブは、参加社のなかで、幹事社がしきるので、馴れ合いになり、それこそ忖度会見になるのだろう。いつからこんな状態になったのだろうか。
 今やこれが日本という国を覆っているらしい。ものごとを質すのがジャーナリズムであり、報道の原則だ。政府におもねり、多数世論におもねていれば、マスコミは政府の宣伝機関そのものになる。
 権力を傘に着て、私利私欲をほしいままにしたり、人命を怪しいほうに巻き込んでいくのを止めるのは、言論(機関)の社会的使命ではなかったか。
 
 17年9月4日夜、ある男から東京新聞に電話がかかってきたらしい。「望月記者を殺す」と。これは、記者の行動を抑える言論封じであり、マスコミは政府の意のままに動けという恫喝なのだろう。
 社会が腐っていくと、人間の嗅覚も鈍感になる。悪臭を感じなくなるのだ。人々は異論を排し、多数意見に組み込まれていく。
 2011年3月11日、私は東京で大地震を体験した。ものすごく揺れた。物が落ち、地鳴りがした。咄嗟に、これはどこでおきているのかと考えた。街が停電になったり、暫く混乱した。驚異的な津波が東北を襲い、原発が次々と爆発した。
 スリーマイル・チェルノブイリ・フクシマになったのだ。あれから6年が経ったが、東電や政府は原発内にあった核物質を封じ込めることすらできていない。その所在すら未確認。原発の大事故とその後の処理の不首尾が、この世の、生類の終わりを加速しているのだ。
 このことに気づかない人々。哀れな集団が跋扈している日本。いや、こんなことを言っている暇はないだろう。気づいた人が立ち上がる。マスコミは、ここを支えるべきだろう。
 私は生類の終わりを黙って見過ごすことは、できないのだ。私も、望月衣塑子(いそこ)記者の活躍に今後も注目していく。

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