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日記・コラム・つぶやき

2017年6月25日 (日)

週刊金曜日6月23日号の表紙に関する激励・ご感想を

 しつこいかもしませんが、週刊金曜日6月23日号の表紙に対するご感想、激励をお待ちしています。既に、見た、買った、(アメリカで)注文した、との報告が届いてきています。アメリカにも紀伊国屋書店が何件かあり、注文したとの嬉しい便りがメールで届きました。先輩カメラマンからは、「さすが、地元のカメラマン」との声が届けられました。つい先日ゲート前で引きぬかれたという友人は、帰宅して週刊金曜日を見て、「山本君が撮ったんだよね」と。

 辺野古テント村での私は、おいで居ただいた方々に、この表紙をお見せしています。反響は上々です。もっともっとこうした現実を広く知っていただくためには、載せていただける媒体が増えることです。これが難しいのですが。

 是非ともあなたの友人に、ご家族に、広げてください。このブログのことも。何しろ安倍政権は、記者会見でもちょうちん持ちのような記者の質問しか受け付けないようです。メディアを時代の共犯者にさせないことが重要な時代に入っているのです。また孤立している記者やフォトグラファーを応援していきたいものです。頑張りましょう。

知事の平和宣言と首相挨拶(17年6月23日)

 昨日(6月24日)、沖縄の大学から辺野古テント村に話を聞きに来た学生に、私はこう言った。6月23日の知事と首相のことばの違いを読み解けと。そこでこの場で私なりの読み説きをやってみよう。

 知事の平和宣言は、文字通り知事の県民に対する平和宣言であり、ひろく国民に対する呼びかけだ。冒頭に沖縄戦の惨禍を「72年前、ここ沖縄では、住民をまきこんだ激しい地上戦が繰り広げられました」と要約し、「命どぅ宝」の思いを想起し、今日にいたる連綿たる基地の現状を活写している。辺野古新基地反対を明言し、日本国憲法に立ち返り、「平和の礎」を想起し、大田昌秀さんが建立された意義を踏まえている。短い文だが、沖縄の現実から、「絶え間ない努力を続けてまいります」としている。

 首相の言葉はどうか。冒頭から沖縄戦に触れているが、「み霊に向かい、謹んで哀悼の誠を捧げます」だ。2段目のパラグラフも沖縄戦、3段目も。ことばを重ねているが、空ろなのは何故か。「み霊」へのことばだから、言葉が空滑りしていくのだ。亡くなった方々、生き残った方々へのいたわりがない。例えば、「私たちが享受する平和と繁栄は、沖縄の人人の、ことばでは言い表せない塗炭の苦しみ、苦難の歴史にあることをかみしめながら、静かに頭を垂れたいと思います」と敢えて、思考停止。続けて「わが国は、戦後一貫して、平和を重んじる国として、ひたすら歩んでまいりました。戦争の惨禍を決して繰返してはならない。この決然たる誓いを貫き、万人が心豊かに暮らせる世の中を実現する。そのことに不断の努力を重ねていくことを、改めて、み霊にお誓い申し上げます」。

 なるほど立派な決意だが、沖縄の人人への決意ではない。み霊への決意。因みに、み霊とは神道用語。首相は、国に命を捧げた霊に頭を垂れているだけではないのか。

 そして米軍基地問題に触れている。「沖縄の方々には、永きにわたり、米軍基地の集中による大きな負担を担っていただいており、この現状は到底容認できるものではありません。政府として、基地負担軽減のため、ひとつひとつ確実に結果を出していく決意であります」と。だが、沖縄の基地負担の現状認識を一言も語らず、言うことは北部訓練場の半減のみ。「できることはすべて行う」という言葉が宙に舞う。新基地建設や高江のヘリパッド建設等の基地負担強化を完全に無視。しゃあしゃあと「沖縄は、美しい自然の中で豊かな文化を育んできました」などとことばをつなぐ安倍。

 最後から2段目のパラグラフで、「私は、可能性に満ちた沖縄の明るい未来を切り開いていくため、先頭に立って、沖縄の振興をさらに前に進めてまいります」と。経済振興で沖縄を縛り、基地の島の永遠化と新たな戦場にする構想を隠しながらのこうした言説。呆れ返る。

 ラストは、「結びに、この地に眠るみ霊の安らかならんこと、ご遺族の方々のご平安を心からお祈りし、私のあいさつといたします」。み霊で始まり、み霊で終わったのだが、首相として沖縄の現実に責任を持つ姿勢がないことを裏書するような代物だった。「安らかに」、「平安」を祈念するならば、軍事基地にさいなまれている現実を直視し、遺骨すら放置されている現実を留意すべきだろう。こうしたどこが、安らかに、平安なのだろうか。

 両者の違いは鮮明だ。現実を解決しようと尽力している知事と、基地の現実を押し付け続ける首相。私達は、ことばの裏側を読み解けなければ、再び暗黒の社会に引きずりこまれていく瀬戸際にたたされている。この問題は、単に沖縄だけの問題じゃない。日本という国に組み込まれている人人全体の問題であり、アジアに、世界に影響を及ぼしていくだろう。

補足:首相が「平和の礎」に触れていたのに、意外感。この礎は敵も味方もなく、韓国人の、朝鮮人の名前も刻まれて居ることを承知しているのだろうか。安倍首相は一度、平和の礎全体を歩いてみたらどうだろうか。それで変わるとは思わないが。

2017年6月24日 (土)

 暑い、疲れた、頑張った(17年6月24日)

 今日も暑かった。予想通り、6月23日の流れから辺野古テント村を訪れる人が絶えず、私達は大忙し。私も何度も何度も話しました。今日お出での方々は、南部戦跡を回ってきているので、いやでも戦後72年を語ることに。中には、そこを10分でとか言われると、それは無理でしょう。逆に言えば、話しての能力が問われます。

 さらに10時から11時に、ゲート前で、慰霊祭をやると。ここには大浦収用所があり、少なからぬ人たちが、亡くなっています。実態の解明がなされないままに、遺骨が埋まったまま、埋立て工事が進んでいるのです。

 また同時に大浦湾の瀬嵩では、海上行動を支える行動が行われました。私はこの両方を車で送って、迎えていただきながら、撮影を貫徹。1時間あまりで、両方を撮れた。感謝。

 3箇所で頑張ったかいのある、一日になりました。なかには、昨日、南部でバスの中でお見かけしたという方がおいでになり、ご挨拶。また「週刊金曜日」を買いましたという方もいて、ありがたい気持ちになりました。

 状況は厳しいですが、だからこそいま頑張らないでどうするのか。追われる気持ちと、もっと複合的にと気張る想いが駆け抜けます。

2017年6月24日朝に

 今朝の新聞は昨日の慰霊の日の記事が満載されている。その中で翁長知事の発言と安倍首相の発言の違いがくっきりと浮き彫りにされている。詳細については後で論じたいが、安倍首相の言葉には、形式的な追悼しかない。あの戦争から今に繋がっていることをすっぽかしている。「負担軽減」に誠心誠意取り組むといいながら、肝心要の沖縄の住民がすっぽり抜けている。そのことばには国(国家)の都合しかないのだ。

 安倍晋三氏は、戦争は人を殺すものだということがそもそもわかっていない。分かろうとしていない。翁長雄志沖縄県知事は、「沖縄の民意を無視している」と、この国をはっきりと批判している。

 私はこうしたことを常に意識してきたつもりだが、もっと分かりやすく明解に語りたい。私達は、「国民」や「臣民」である以前に人なのだ。ただの人なのだ。だが戦前は「臣民」と呼ばれ、戦後も何かといえば「国民」がとくる。日本国憲法にも peaple が「国民」に書き換えられてしまい、生身の人間がどこかに飛ばされている。私は常々言っていることだが、分かち合うことがなければ、人間の歴史はまもなく終わるだろう。分かち合いには「国民」は邪魔立てする。「わが国」意識が先に立つからだ。

 沖縄戦を振り返れば、激しく闘ったはずの日米両国が涼しい顔をして日米同盟を語り、沖縄に過重な負担を押しつけている。皇国は、国を守るといいながら、沖縄住民のことなど知らんぷりだったが、今も変わらない。私は、こうした「日本国民」である前に、人として考えたい。だからこそ、「日本人」の歴史的な責任を自覚していきたい。

 今日の大浦湾は海上パレードが行われる。辺野古テント村にも大勢がお出でになるだろう。

2017年6月23日 (金)

やっと帰ってきたと思ったら、インタネットが繋がらず(17年6月23日)

 昨日から糸満市に行っておりました。色々あって帰宅は21時過ぎになりました。さてメールをブログをと思ったら、接続できない状態に。電源等を切って、暫く間を置くことに。洗濯して、シャワーを浴びて、食事して。

 そう、ヤマヒデ予報部の「22日梅雨明け」の予報は、大正解。お陰で暑かったです。

 そして接続はできましたが、今度は情報の取得がへん。唸りながら待ったら、やっと正常に。一気に疲労感がでてきました。自宅の部屋も暑いし(冷房中)。

 今日の慰霊の日、私は慰霊祭には出ませんでした。会場にも行けなかった。喜屋武岬の平和の塔と、魂魄の塔での国際反戦集会に参加・撮影してきました。今年は大田昌秀さんが亡くなったばかりなので、「沖縄 平和の礎」(岩波新書)を読み直しています。同書の冒頭の「沖縄の平和と未来を考える」(琉大退官記念講義)で、如何なる学問をやってきたのかを問うています。その中に、柳宗悦(むねよし)のことに触れています。宗悦は日本民芸館を創立した人です。沖縄では1910年代に激しくなった方言撲滅の動きに公然と異を唱えたのです。「沖縄人はもっと自分の郷土に誇りを持つべきだ」とも言ったそうです。そして「沖縄の首里ほどすばらしい街はない。世界を回ってもこんな街はない」と。

 その首里が沖縄戦で破壊尽くされた。首里ばかりじゃない。あちこちが破壊尽くされた。

 実は柳宗悦は私の(母方の)大伯父です。これまで私の身近には沖縄戦で亡くなった方はおりません。それどころかあの15年戦争で殺された人も、いないのです。ダイレクトに戦争を想起しにくいのです。無論、これまでにあちこちの戦争の痕を訪ねています。体験者のお話も聞いています。宗悦(私達は「そうえつさん」と呼んできました)の方言論争について、何故公然と声を上げたのかを私なりに考えてきました。しかしここにあるような「首里の街」に自信をもてるでしょといったことを想い浮かばなかった。肯定を示すことに。

 今の新基地建設反対の声にも、郷土を守りたいの声は小さくありません。そういうことに共鳴できる自分がいれば、沖縄の人人の想いに近づけるのかもしれない。

 また母方の伯父に柳悦孝がいます(故人)。私は彼のことは承知しています。彼は織物の師でした。宗悦らと戦前戦後の沖縄に通い、沖縄戦で失われた織物・染織の復興に協力しました。沖縄の前を見る仕事をやっていたのです。沖縄県立芸大ができた数年間、教鞭をとっています。

 沖縄の前を見る仕事は、ますます重要になっているはずです。亡くなられた方々に思いをはせるとともに、前を見る仕事にも取り組みたいなと、今私は思案中。何ができるかはともかく、前を見る方向性は重要だと。

 権力が総力戦できている以上、私たちも総力戦です。非武の総力践。こんなことを歩きながら考えていました。

2017年6月22日 (木)

まだ梅雨は明けず、6月の空は澱んでいる中で(17年6月22日朝)

 今日も曇。明日の「慰霊の日」を前に空も澱んでいる。自民党(同党憲法改正推進本部)は改憲条文案をだしたという。「9条の2」を新設して、自衛隊を「わが国を防衛するための必要最小限度の実力組織」としていると。

 何故こんな「論理」が罷り通るのだろう。この国の政権がやってきたことは、解釈改憲を重ねて、9条を無効化することだったが、「戦争の放棄、軍備及び交戦権の否認」と明らかに矛盾する実力組織(人殺しを目的とする)を米軍らとの集団的自衛権まで認めた中で書き込むことの極め付きの欺瞞。

 この間の経緯を見れば、もっとはっきりする。国会を軽視し、行政権の手玉に取りながらの強行、沖縄をみれば、一層はっきりしてくるが、基本的人権の無視・破壊、地方自治の破壊。挙句に国家緊急権の憲法への書き込み。再び国家が絶大なりといいたいのだろう。

 沖縄は72回目の慰霊の日を迎える。沖縄戦で蹴散らされた人人の遺体はまだまだあちこちに散在している。存在の行方が分からないものも多い。そのうえ、米軍基地が、自衛隊の基地も日々脅威をさらしている。さらに機能を統合・強化された新基地(飛行場・港・弾薬庫の三位一体)の建設。

 日米政府は、あれだけの戦争を沖縄に強行しながら飽き足らず、まだまだと言っているようだ。残念ながら多くの日本国民も無関心を決め込み、知らんぷり。あなた方の行く末も危ないのですがね。気がつかないのは最高の安楽。地獄に落ちてからの身の処し方は、友を道連れにするやりかた。「みんなで渡れば怖くない」。このやりかたは72年前までと同じじゃないの。みんなで殺して死んで。死への孤独を神になると信じ込み。ばかげすぎている。

 まだまだこんな安倍政権への支持率が40㌫もあるという。情けなさ過ぎる。かと思えば相棒の公明党は、こんな誹謗中傷を垂れ流している。https://twitter.com/komei_koho/status/877358027866726400

毒を喰らわば皿まで。確か公明党は自民党の暴走を抑えるのだといっていたよね。

 沖縄では、雨の中でも座りこみを続け、機動隊に抗している。稲嶺進名護市長は昨日の名護市久志地域(瀬嵩)での平和祈願祭で「皆様が愛した古里はいまだ新基地建設に揺れている。私はこの地に決して新たな基地を造らせないことを改めて誓う」と。この地域の総意を明言している稲嶺さん。

 私もこれからこの志を新たにしながら、沖縄島糸満に向かう。今から時間をつなぎなおし、未来を照らし出していきたい。

 なお明日の6月23日はたまたま「週刊金曜日」の発売日。特集が沖縄であり、同号の表紙を私の写真が飾っている。ゲート前の闘い・機動隊の圧政を活写している。どうかご覧いただき、買って下さい。大いに宣伝してください。

 

2017年6月21日 (水)

明日にも沖縄は梅雨明けか(17年6月21日)

 今日、17年6月21日の名護の天候は概ね晴れ(一時にわか雨)。昨日までの悪天候の空が大きく変わってきた。ヤマヒデ気象部は、明日にも梅雨明けになると判断している。

 最も晴れてくれば、カァーとなる暑さであり、肌は焼け、水分補給に追われる日々となる。それでも、いいかと思うのだから、私の身体は沖縄ぽくなってきたのだ。そう、あさって6月23日は「慰霊の日」。6月23日はほぼ毎年、カァーという照り返しにめげそうになってきた。

 ところで、約1ヶ月止っていた写真のアップは、漸く可能になった。容量が足りなくなって、あれこれやってみたが、そもそも容量を増やす以外になかった。併せて、不要なデータを消し去り、ファイルの整理も一部だが進めた。試行錯誤の結果、大分要領がわかってきたのは、メデタイことだ。今晩中に幾つかを載せるので、少々お待ちください。

2017年6月20日 (火)

デイズ・ジャパン7月号を見て唸ったが

 今日「デイズ・ジャパン」7月号が届いて、表紙が見えたので、思わず私は唸った。わが陸上自衛隊員が水陸両用装甲車の脇で銃を構えているのだ。「やられた!」というか「先を越された」と思ったのだ。しかし、中を良く見たら、米国での撮影。なんだ沖縄じゃない!と安堵したのだ。外の写真も殆ど海外での撮影。無論特集が琉球諸島を巡る軍事化をテーマにしており、アップ・ツー・デイトなもの。

 このテーマを、私は2011年から追いかけており、それなりに撮り貯めているとはいえ、まだまだ沖縄での自衛隊の演習を撮る機会に恵まれていない。より自覚的に撮るチャンスをものにしたいものだ。

 ただお断りしておくが、私は軍事オタクじゃない。軍事力では私たちの命を守ることはできないばかりか、資源さえ守れないと思っている。日本政府がやろうとしている「島嶼奪還作戦」だが、各島に駐屯する自衛隊は500~800名(与那国島は現在のところ160名)で、一旦島を明け渡すという。ここでいう島とは与那国島、石垣島、宮古島等のことだが、万が一首尾よくいって、兵隊は一旦逃れたとして、残された島民はどうなるのか。与那国島は約1400名(自衛官と家族を除く)、石垣島、宮古島が50000人余りの人々はどうなるのか。殆ど逃げようがないのだが。政府・自衛隊は島民を置き去りして、奪還するのだという。さらにそのとき何処を戦場にするつもりだ。これは具体的に考えるべきことだが、どう考えても島民を死地に追いやりながらの作戦になる。

 こんな机上の空論のために、税金を軍事費に使うばかばかしさ。中国が怖いという人々は、若し本気でそう思うならば、自分が島民のつもりで考えるべきだ。軍事緊張があるのであれば、其れを解きほぐす努力こそが、緊急の課題だろう。順番が逆である。

 ついでに言えば、中国に何を言っても理解する頭を持っていないと信じ込んでいる方に申し上げるが、だとすると中国は日本国についても何を言っても理解で来る頭を持っていないと考えているかもしれない。なんも考えることができない両者だとしたら、確かに戦争になる。力対力。そうなったら、日本に生きている人々は生き残れますか?米国は日本を守ってくれますか?相互絶滅戦争になることが予想できるから、米中両国はお互いに手を出せないでしょう。しかしわが安倍政権はやりたいとハシャイでいるのです。

 だけど米国の主要産業は軍事・軍事産業。だから戦争をやる。圧倒的強者が弱者を踏みにじる。愚劣過ぎませんか? たまにテロ攻撃を受けて慌てる欧米諸国の政府。

 分厚い軍事力で鎧を固め、強力な槍をもっても、安心はできないのです。儲かるのは軍事産業ばかり。だから賢明な人間であれば、軍事力とは別の方法で、お互いに生きていける方法を模索しなければ、人類の未来を暗くしていきます。

 こんなことは、少し真面目に考えれば、小学校高学年になれば、考えられる程度のことです。

 ということで、私もデイズ・ジャパンの7月号を推薦します。

2017年6月19日 (月)

やれやれだなと思ったが(17年6月19日)

 17日に負った足の硬直、ゆがみは、やっと、ただの筋肉痛程度に和らいできた。これで明日はカメラをもてるだろう。今日などはただただテント内の椅子に座って読書にあけくれていたからな。そういえば、雨の中をアジサシの仲間が飛んでいた。

 志葉玲君がツィターで安倍の記者会見のちょうちん持ち記者が多すぎる、突っ込みを入れるべし(要旨)と書いていたが、全くそのとおり。各社共に政治部が一番の悪。政権の中枢にくっつきながら、取材だなどというから、ろくな記事が書けない。政権の宣伝部はNHKと読売・サンケイだけでたくさんだ。

 彼らは72年前までの戦争犯罪を完全に忘れているのだろうが、私達はここから許しませんと言うしかない。過去の過ちを再び繰返す。今度は米国という尻馬に乗っていれば、負けないぞという浅ましさ。情けなさ過ぎる。

 私達は、政権宣伝部を、正しく「軍事産業」と呼んであげよう。軍隊とは人殺し集団であり、其れを鼓舞する宣伝部。写真家でも絵描きでも文学者でもミュージシャンでも、はっきり言ってあげよう。国家に軍事に加担するな、共謀するな。ごまかすなと。その正体を暴露していこう。特に文化を巡る領域の責任は大きいのだ。

 まだまだ私たちがやれることはある。海兵隊を巡る映画の上映運動をななち家さんが始めたし、私の辺野古・大浦湾の写真ファイルも地方巡業から戻って来たはずだ。もっと多くの人たちが大胆な共謀を図るべきだ。殺すな!と。だから言うまでもなく私はテロには反対だ。間違っては困る。肝心なことは誰が何をしようとしているのかを見極めることだ。

●海兵隊を巡る私の映評 

http://poyamahide.cocolog-nifty.com/blog/2017/06/post-6f9b.html

 私たちが無関心でいたら、どんどんモノが言えなくなる。気がつかなければどんどん自分たちの墓穴を掘るだけなのだ。まったく、ちっともやれやれじゃないようだ。

アーあ、今日も雨だった!(17年6月19日)

 今日も雨。朝は殆ど降っていなかったのだが、梅雨は何時あけるのか? 因みに海上行動は殆ど中止。船1隻で様子をみに行っただけ。お陰で私はテントの中で、ゆったりとしていた。もっともまだ17日に足を痛めたので、歩くのがやっと。撮影はちょいと無理な体。

 雨のお陰で出動もなく、静養できた。しかし辺野古川河口は真っ赤になってしまう。上流が荒れている証拠。実弾射撃演習場だから、裸地になっており、赤土が流れてくる。確実に自然が壊されていく。

 今日良かったことが2つある。ある方が、この国は共謀罪も通ってしまって、どうなるの?と。私もこう問われたら辛いのだが、ここは一人一人が萎縮せず、協働の力を行使して跳ね返していくしかないと答えた。そうよねと、やや顔が和まれた。いま必要なことはひとりひとりが如何に生きるべきかを問う哲学をもつことだ。決して死ぬためのではなく、生きるための。国家に死相がでてきた以上、きわどいところに来たことは間違いないが、私達は生きるための哲学を追求しよう。

 もうひとつは、青木理さんの「安倍3代」を読破した。安倍寛、安倍晋太郎、安倍晋三の3代だ。岸信介は母方の祖父。3代というから、岸がメインかとおもいきや、父方の3代。祖父の寛(かん)はリベラリストだったらしい。大政翼賛会の時代にも反戦の心ざしを絶やさず、当選している。晋太郎もそこそこのリベラリストでバランスを取る人だったと。代をさかのぼればさかのぼるほど小物になる。晋三はタダタダヘイヘイ凡々だったらしい。

 今この国はこんな小物にコケにされているのかと思えば、ますます腹立たしい。ただ、今の世の中を裏で支配している日本会議は、だからこそ使いやすい男なのだろう。日本ナショナリズムの裏はウルトラの親米であり、米国は日本を御しやすい。大企業もこの国を使いやすいのだろう。こんな薄っぺらな連中に、私たちの未来を明け渡してはいけない。まだまだ私達は自信を持って生きていけるはずだ。

 昨日までに折角干した雨具やザックが再び濡れてしまったが、今日は買い物の心配もないので、いいことにしよう。

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