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文化の目

2017年5月27日 (土)

今日は憲法ミュージカル、キジムナーを観る

 これから東京。今回は遊びに行ってくると伝えてきたが、実はいろいろ盛りだくさん。今日27日午後は憲法ミュージカル、キジムナーの公演を観劇。どんなふうにしあがったのか、みておきたい。こちらの現場のことも踏まえたミュージカルであり、素人100人の集団が如何なる協働性を発揮しているのか。実に興味深い。

 今回は今回だが、この中にも参加している人たちが(「キニナルキ」)8月に東京と沖縄でダンス公演「ちゃーぱしりー」の企画も決まっており、大いに協力したいと思っている。

 私たち自身がどれだけ表現力をもつのかを抜きにして、いま進んでいる戦争と自滅への道を変えることはもはやできないだろう。そう考えるからこそ、ひとつひとつの取り組みから私も学んでいきたい。

2017年5月24日 (水)

平良孝七さんの写真と『安保廃棄!沖縄返せ!』

2017年5月20日、名護市博物館で開催されていた平良孝七さんの写真展「復帰の日 沖縄の抵抗と苦悩」を見に行った。

 正直に言って、自分の頭を殴られた思いがした。平良孝七さん。1939年大宜味村喜恕嘉生まれ。62年琉球新報写真部、

70年、琉球政府広報課、

93年、20万点に上る資料を名護市に寄贈。

1994年死去。

69年「沖縄・100万県民の苦悩と抵抗」

76年「パイヌカジ」

82年「カンカラ三線」

86年「塩谷・ウンガミ」などを刊行。

今回の写真展は復帰45年にちなんで。衝撃的だったのは「復帰記念式典」(72年5月15日)の何枚か。特に、会場の壇上だけが明るく、真っ黒な客席。

私はこの写真の前で釘付けにされた。沖縄の人人の民意を生活を潰しての「復帰」。彼の怨念が集約されている。凄い。

私はそうだったのかと。いまも変わらないのだな。それは私たち「日本人」が沖縄を踏みにじってきたからだ。何も変わらず、悪化させている。自分は何をすべきなのか?!沖縄にまで来て。何をやっているんだろ。

突然、ヤスサンの「安保、廃棄!沖縄、返せ!」のメロディが浮かんできた。これか。この怨念に繋がっているのだ。

この45年を、72年を、1879年からの歴史を踏まえなおせ!具体的に考えろ!

2017年5月21日 (日)

県立美術館にちょっと写真展・美術展を観てきた

 会期が今日までということで、おもろまち(新都心)まで行った。「写真家が見つめた沖縄 1972‐2017」。お目当ては、豊里友行君の大判2枚。友人の尾崎孝史君(フォトグラファー)が「良かったよー」と言っていたので。

 全般的にはうす暗くて小さくて、私の視力ではきつい。だが彼のは壁面に2枚がドドンドドンと。1枚はカヌーチームが海保のゴムボートと対峙している。もう一枚は文子おばぁのまなざし。しっかりとした説得力が滲み出ている。

 他の写真で私の記憶に残ったのは、2006年からこの10年、松田浜の前での家族の写真。お二人だったのが、3人、4人、5人にとご家族が増えて、成長した様が妙に説得力がある。バックのフェンスが鉄条網から今のコンクリートで固めたものに変わっているのも、時代の変化を表している。定点観察の成果だ。

 コレクションギャラリーでも同じ枠で先輩達の写真展をやっていた。私には暗くて細部がよくみえない。残念。

 安次富長昭さんの絵画展も観た。明るく大きくカラフルなのでよく見えた。入ったところが「少女」(赤が基調)。少女と言う若さを感じない、ちょっとけだるいが、赤で、きりっとしている。私の趣味は「岩」「蝶」のような地味なのがいい。アクリルのけばいのは、パス。

 総じて他人の作品を見ると、色々と刺激される。私も作品を作りたいと思う。それだけでも行けてよかった。

 余談ながらゲート前で活躍しているKさんがきていた。こんなところで。私はいつものティーシャツにサンダルなのに、彼はちょっとおしゃれしていた。たまには気分転換したいですよね。わかる!

 

2017年5月16日 (火)

沖縄・文化の力の可能性-今日の新聞記事から(17年5月16日)

 沖縄タイムスの記事に「ニシムイ 多様性に魅力」と出ていた。板橋区立美術館の学芸員弘中智子さんの写真が出ていて、目が止った。板橋区美術館・池袋モンパルナス、首里の西森(ニシムイ)だ。

 板橋区美術館といえば、私の連れが見に行ったと、好意的に書いていたことを思い出した。改めて同美術館のホームページを見たら、なかなか興味深い。

 沖縄戦後の西森に美術家や詩人、声楽家、映画監督、脚本家らが集まって、美術村ができて文化の再生に取り組んだようだ。池袋モンパルナスとどう繋がるのかは、今後の展示を待ちたいが、同美術館の所蔵作品をネットで垣間見ると、確かに重なりそうだ。

 戦争でねこぞぎやられらた沖縄島は、身体が破壊されたばかりか、心も踏み潰されたはずだ。そうした中で、如何に再起・再生していったのだろうか。

 展覧会は「東京 沖縄 池袋モンパルナスとニシムイ美術村」展。会期は来年2月から4月。どんな展覧会になるかこれからが楽しみだ。私は東京に行く際に、事前に同館をみておきたい。そういえば、去年は日本民芸館に4回も通ったのだった。

 戦争が全面化すると戦時色一色になる。戦争画家が作り出されていく。しかし板橋区立美術館の所蔵作品には、それでも、《否》の葛藤がでているものがあるようだ。

 また、今日の新聞の他のページをめくった。論壇に「子どもの本で平和紡ぐ」と題して大池功さんが書いていた。

 「戦争は突然にでなく、じわじわとことばを抑え込むところから始まります」と。要は日本児童文学者協会の「子どもの本で平和を描く ことばはどう抑えこまれていくか」集会の案内になるのだが、こうした企画をいまの沖縄で開催する意味はとても大きいだろう。

 実は私は図書館勤務の時代があり、10年余り児童書担当だった。多くの面白い児童書に出会い、こどもたちへの読み聞かせも毎週のようにやっていた。

 ことばと絵は如何に平和を、平穏な心を喚起してくれるのだろうか。差別に組み込まれないやりかたはあるのだろうか。私もしっかりと議論に参加してみたい。

◎17年5月20日14時~17時 浦添市社会福祉センター 参加費:800円。 

問い合わせ:日本児童文学者協会沖縄支部 電話 090-5480-7402(池宮城) 090-1946-3181(川満) 

2017年4月16日 (日)

映画『標的の島-風かたか」雑感

映画『標的の島-風かたか』雑感-ひとしずくの涙も出ない俺は人間じゃないかって-

17年4月2日、やんばる急行で那覇まで足を伸ばし、タクシーで桜坂劇場に間一髪滑り込んだ。じっくりと見させてもらった。重い映画だ、というのが第一の感想だ。重すぎて、一滴の涙もでてきやしない。これは現場を同じくしており(辺野古や高江ばかりか宮古や与那国でも)、撮る立場にいるからそう思うのだろうが。悔しさだけが滲み出てくる。

 プロローグは素晴らしい出来だ。16年6月19日の県民集会。元米兵による女性殺害事件に対する怒りの場面から始まる。稲嶺進名護市長の「私たちは風かたかになれなかった」との慙愧なる思い。玉城愛さんの「彼女は私だったかもしれない」が重く響く。そして古謝美佐子さんの「童神」の唄が重なる。ドキュメンタリー映画としては、これ以上に望み得ないほどのプロローグだろう。

 ただ今回の作品は、辺野古、高江から与那国島、石垣島、宮古島に及んだ。時代は島々に起きている問題群を視野に入れずして沖縄を語れない時代に入っているのだから当然だ。ここで難点が2つ3つ。①辺野古・高江と島々の関連をどうしても説明しなければ視聴者に分かってもらえないから、説明(米軍と自衛隊の問題も含めて)が長めになってしまう。②やはり三上監督の地元の人たちとの人間関係が島々での月日が浅いから、辺野古・高江のようにはいかない。私は無理もないと思うが、今後の課題だろう。

 ただ随所に努力のあとが示されている。各島の芸能の場面をスムースに取り上げて、芸能の現場から島の人々の思いを語らせている。そして石垣島の区長さんの娘さんの登場が印象的だった。さすが三上智恵。ここは私が唸らされた場面のひとつだ。

 しかしだからといて、琉球諸島が標的の島になる、さらに日本全体が標的になるのだとは、余り説得力を感じない。島々の問題は、もっとじっくりとやらなければ、監督の思い込みが一人歩きしてしまう。これまでのような三上監督の手法通り人から描くのであれば、もう一工夫も二工夫もしなければならないだろう。

 そして映画の創り方として、3月2日の和解の「良かったね」から終章にかけてのまとまりがないから、知りきれトンボになっている。三上監督が、この時代に対して人々に対して焦っていることは痛いほどよく分かる。だからこそ、余計に冷静な視点が不可欠なのだ。私もどうしたらいいのだろうと嘆息するばかりだが(自分もめちゃくちゃ焦っている)。

 それにしても泣けたという感想がネットに流れてる。何故そうなんだろう、と私には腑に落ちない。もっと冷徹に見なければ、沖縄の問題は、アジアの問題、日本の問題だという視点を取りこぼしていくだろう。私は泣くなとは言わないが、涙の源流がどこからきているのかを冷徹に見つめる視点を鍛え直せと、言いたい。

 

 三上智恵さん、辛口ですまない。私が辛口なのは次に期待しているからだし、自分の課題でもあると考えているからだ。どこかで議論したいね。頑張ろう。

追記:石垣島の予定地の場面が出た瞬間、アカショウビンのさえずりが聞こえてきた。良かった!もっとも高江の場面でも鳴いてましたが。バード・ウォチャーのヤマヒデの感想でした。ついでに言えば、ミリタリー・ウォチャーとしては、いい場面なかったね。

2017年4月 5日 (水)

『戦場が見える島 沖縄』(嬉野京子著)を読んで

「戦場が見える島 沖縄-50年間の取材から」 嬉野京子著 2015年9月発行 新日本出版社刊 

 嬉野京子さんは沖縄を撮ってこられた大先輩に当たる。年齢はともかく、嬉野さんは、1965年から。私は89年から沖縄を撮影。この差は余りにも大きいことだと、本書を拝見して痛感させられた。

 本題に入る前に、私と嬉野さんとの出会いを少々。昨年、嬉野さんは某旅行社の沖縄ツァーの案内人で辺野古テントにお出でになった。写真家の誼で、私が皆さんにお話した。帰り際に、暖かい握手をしっかりと交わすことができた。それ以来のお付き合いである。

 さて本題に入ろう。本書は3章から成る。①米軍占領下の沖縄で、②「祖国復帰」の前と後、③再び「島ぐるみ」となったうねり。

 本書の核心は、第1章。米軍占領下の現状が嬉野京子さんの目を通して描かれている。そもそも当時の報道写真家に沖縄に入るパスポートは下りなかった。そんな中での初めての沖縄行き。最初から最後までスリリングだ。「カメラを持っていると命の保障はない」といわれた当時。衝撃的な1枚の写真を記録した嬉野さん。65年4月20日、宜野座村漢那で。米軍車両に轢き殺された幼児を撮ったのだ。しらっとした米兵の顔。昨年末のオスプレイが落ちたときの米兵の顔に通じるものがあると私は思う。

 65年~67年当時の私は中学・高校生。同時代の中学生・高校生の写真に興味を覚える。沖縄返還に敏感だっただろう沖縄の同年代の人たち。対して私は、野鳥観察から新浜(自然保護)運動に全力の時代を過ごしていた。ここで見えていたことと、全く見ていなかったこと。

 「祖国復帰 われらは日本だ。迷子ではありません」成るプラカードを掲げた先生と小学生の写真(65年4月)がある。当時の思いが滲み出ているようだ。しかし当時の沖縄を知りえていない私には違和感を拭い得ない。沖縄戦に追いやった大日本帝国から「平和憲法」を掲げた新生「日本国」へ。米国による異民族支配による沖縄への蹂躙。平和憲法への期待が高まるのは当然なのだが。当時の私は経済成長一辺倒で走る日本の開発・自然破壊を憂慮していた。まだ憲法やベトナム反戦も意識になかった。異次元を生きていたのだろう。

 第2章はいささか解説的。嬉野さんもこの時期はやや空白の時間なのだろう。後追い的な記述が続く。第3章は、95年9月4日の米兵によるレイプ事件が沖縄の自主・自立の胎動を生み出していく様子を記述。ここでは阿波根昌鴻さんとのことが興味深い。那覇まで来ているのに、何で伊江島まで来てくれないのという嘆き。阿波根さんは、50年代の伊江島から沖縄島全体の土地闘争に重要な役割を果たした。しかし、その後、伊江島では孤立していく。このへんのフォローアップが全くできていないことに今頃気づいて、慌てた私。

 反戦を訴えたアレン・ネルソンさんの話や具志堅徹さん(元名護市議)の話など興味深く読んだ。徹さんが京子さんを踏みつけていた(京子さんが伊江島から米兵に追われ、難を逃れるとき)話を読んで私は思わず笑ってしまった。そのときのご本人たちは、それこそ必死だっただろうに(無礼者!)。

 記録を撮り続けることは、事後に意味が出てくることもある。だから其の時、その後の感度を研ぎ澄ましていないとダメなのだ。嬉野京子さんという大先輩が表した本書は、一枚一枚の写真の中から、学ぶことがたくさんあることを示唆してくれる。皆さんもお手にとって、見て読んでいただきたい一冊だ。

2017年3月 9日 (木)

テレビbs「アレクシェービッチの旅路」再放送

 私の友人のTさんから以下の情報をいただきました。制作はNHK名古屋ですが、彼が太鼓判を押していますから、見れる環境にある方は是非見てください。

BS1スペシャル「アレクシエービッチの旅路~チェルノブイリからフクシマへ~」

前編「チェルノブイリの祈り」 3月11日深夜24:00~24:50 (12日午前00:00~00:50)

後編「フクシマ 未来の物語」 3月11日深夜25:00~25:50 (12日午前01:00~01:50)

案内の画像はこちら。

「new.pdf」をダウンロード

2017年2月26日 (日)

演劇人たちの活動(17年2月26日)

 安保法制と安倍政権の暴走を許さない演劇人・舞台表現者の会は、安保法制が強行採決された「19日」に、毎月、街頭でサイレント・スタンディングを続けている。この会のことは、私も賛同人(演劇関係者のほかの一般人として)になっており、随時報告がメールで届いている。改めて賛同人のお名前を見たら、演劇人、831名、一般、585名になっていた(17年2月現在)。なかには私もよく知っている方や、辺野古に来ていただいたお名前もある。

 スタンディングはそれぞれの活動現場近くの駅頭などで行われており、私が馴染みだったこともある新宿駅、西荻窪駅、吉祥寺駅、恵比寿駅、下北沢駅などで行われているようだ。

 もっともっと拡がれば、いい。ただ、スローガンに沖縄関係のことがないようだ。これは残念だ(報告の写真を見る限り)。「戦争反対」とか「安倍政治の暴走を許さない」というならば、その最大の争点は沖縄です。まして安保法制とは、単に集団的自衛権の合憲化(?)を図ったのみならず、「平時から戦時までをシームレスに移行できる法制」でもあるのです。その最前線が琉球諸島に据えられているのです。

 演劇人の皆様、今の、過去の沖縄の現実を見て、問題意識と立脚点を新たにしていただければ幸いです。

 非戦を選ぶ演劇人の会は、来る3月11日~5月19日、「全国同時多発ピースリーディング2017」を行います。共通の台本は「それゆけ安全マン-レントゲン・チェルノヴイリ・フクシマ-」ですが、趣旨に共鳴する独自の台本でもオーケーのようです。

 昨年は北海道から沖縄までの52箇所で公演が行われました。今年も沖縄でもあることを期待しています。

 劇作家であった千田是也さんは、千駄ヶ谷(東京都)で特高警察に「コレヤ!コレヤ!」とパクラれたから、ペンネームをこう決めたそうです。あの治安維持法の時代に入る予感が高まりつつある今、多くの演劇人が本職を通して、こうしたプラスの表現活動を通して、奮闘されていることに、私は敬意を表します。共に闘いましょう。

2017年2月17日 (金)

三上智恵監督「標的の島 風かたか」の全国上映が始まる

 つれのツイッターで知ったのだが、三上智恵監督の「標的の島 風かたか」の全国上映のためのホームページが立ち上がっている。是非ご覧いただき、これから始まる上映会に行っていただきたい。

 http://hyotekinoshima.com/

●17年3月11日~ 那覇 桜坂劇場

●17年3月25日~東中野ポレポレ(東京)

 無論、私はまだ見ていないが、彼女の映画館にかかった作品は、「標的の村」、「戦場の止み」に続く3作目だ。

 今回の現場は、高江・辺野古・与那国島・石垣島・宮古島に広がっている。このホームページを開いたら、標的の島とは、琉球諸島のことではない、日本列島のことだとあった。

 なんだか、これは私が普段、辺野古テント村等で語っていることだ。しかし殆どの皆さんは、のほほんとして暮らしており、気付いていない。気付こうとすらしていない。もはやあともどりできなくなるぎりぎりのところにきているにもかかわらずだ。アホノミクスを唱える安倍の支持率が高いとか、なにやら、「トランプ大統領に期待する」とかの言説が飛び交うなど、全くもって困ったものだ。

 この映画がどこまで、こうした危機的状況を打ち返せるものに仕上がっているかは、分からない。無論、土台、一本の映画がすべてを打開できるわけがない。小さな可能性を啓くものになっていれば、大成功だろう。

 ところで、危機的状況とは、沖縄の状況がとか、日本の状況がとかの問題もあろうが、一人ひとりの主体の危機がもはや限界点を越えていると思うのは、私だけではあるまい。ここをどうしたらいいのか。真剣に考えなければならぬ時代に入っていることは、間違いない。因みに、先に書いた安倍の支持率が高いのも、トランプへの期待感も、自己が崩壊しているからこそ起きていることだ。自分をダメだと思うしかなければ、誰か(強いもの)を信じたくなる。これは人間の性であり、ファシズムの芽だ。

 だから映画に期待する、何々に期待するのではなく、映画等を参照しながら自分を問うことが肝要なのだ。マル(○)。

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