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文化の目

2018年1月21日 (日)

アキノ隊員おめでとう―沖縄タイムス出版文化賞児童部門賞受賞

 2018年1月21日。今朝、沖縄タイムスを開いたら、沖縄タイムス出版文化賞が発表されており、正賞、特別賞と並んで児童部門賞があり、おなじみのアキノ隊員による「ぼくたち、ここにいるよ」(影書房)が紹介されていた。

 大変驚かされ、自分も喜んだ。私たちの仲間であり、また私にとっては、ナチュナリスト(自然観察者)である君が、蝶類研究者・ナチュナリストとして、自然の生存の基盤が壊されていることに対しても、真摯に取組んできたからこそ生まれた著作が、同賞を受賞したことを共に喜びたい。おめでとう。
 
 私が以前に書いた同書の紹介は以下。
http://poyamahide.cocolog-nifty.com/blog/2017/09/post-5065.html
また、アキノ隊員のブログは以下。
http://akinotaiinnorinshitaiken.ti-da.net/
 
因みに児童部門賞は他に「まんぐーすのプーヒヤー」(しろませいゆう著)、沖縄タイムス社
。正賞は「蔡温と林政八書の世界」(仲間勇栄著)榕樹書林、「サンゴ礁の人文地理学」(渡久地健著)古今書院。特別賞が「歴代宝案 校訂本」第1から15冊(沖縄県歴代宝案編集委員会編)沖縄県教育委員会
 受賞された皆さん、おめでとうございました。 

2017年12月21日 (木)

古賀加奈子監督「やんばるの森」製作資金ご協力のお願い

 古賀加奈子さんと私が初めて出会ったのはいつのことだったか。はっきりは覚えていないのだが、オスプレイが沖縄に強行配備された頃だったか。弾圧にもめげず、淡々とカメラを回していた記憶がある。私が知っているのは動画のカメラマンとしての古賀さんだ。最近会わないなと思っていたら、突然、こんなチラシが届いたのだ。

 「古賀加奈子初監督作品 ドキュメンタリー映画 やんばるの森」-「製作資金ご協力の
お願い」。実は暫くの間、某監督の下で辺野古で高江で、カメラを回しており、そうきたのかと思っていたのだ。このちらしによれば、「監督・撮影・編集:古賀加奈子」であり、基本一人作業のようだ。自分の思うままにできるのと同時に、殆ど全てを自分でやるのは相当しんどい作業だ。
 このちらしにこうある。「人々の小さな声や息遣いをつなぐ」映画をめざすと。高江の集落が機動隊約800名に取り囲まれ、暴力に曝された中でも、日常にこだわり、「何が起きても、私が撮りたいのはニュースにならないような、人々の小さな声や息遣いのようなものかもしれません」と。
 映画という業界において、この覚悟は凄い。常識的に考えれば失敗するしかないのだが、そこを乗越えていこうというのだから。
 古賀さんは筋も通っているし、凛としている反面、柔軟性もありそうだ。私も大いに期待し、応援していきたい。高江も辺野古も、若い才能がもっともっとでてきていい現場だ。素材はごろごろあるのだから。
 
詳細は以下を
〇http://yanbaru-eiga.com/
送金先は:郵貯 00220-9-138807 やんばるの森の映画をつくる会
他行からの振込みは 店名:029 当座預金 口座番号:0138807
2018年3月31日まで
問い合わせ先:やんばるの森の映画をつくる会
〒107-0062 東京都港区南青山3-10-41 ジュエル青山ビル202
℡ 090(4123)7191(渡辺 平日 11時~18時) ファクス:03(5829)9388
メイル:yanbaru,eiga@gmail.com

2017年12月20日 (水)

来年こそ、視点展に出したいものだ(171220)

 沖縄に来て5年目になるが、まだ「視点展」(全国公募写真展 リアリズム写真集団主催)に一度もだせていない。以前は連続入選していたのだが。何故出せないかといえば、こちらが忙しすぎるからだが、沖縄にいると余りにも素材がありすぎて、何をどうまとめるのか、これを考える時間がないからだ。ばらばらじゃ、作品にはなりません。

 
 で、昨日の渋滞の中で考えた。トラックに積まれた石を見て。この石がキーワードでない、キーポイントになりそうだと。石と海と人だ。これらを巡る人間の未来を映し出せたらいいかなと。ここでも私は大文字ではない、小文字の世界にこだわりながら、小文字から大文字も映し出せるようにしたいと思う。
 東京にいた頃は、大文字先行になっていた気がする。小文字とは生活次元の話だ。
 
 昨年は沖展に出したものの落選。マシン・オスプレイの墜落を巡るもので、所詮美しくない。端から落とされたのだろう。どうも私は沖展の素性じゃない。美しいものをだすとしても、単純にはいかない。だからといって、発想がないわけじゃなし、去年使いそびれた額縁もある。試みたいと思っている。応募の期限が迫ってきた。

2017年12月18日 (月)

ウーマンラッシュアワーにひとこと

 今日は気分がダウンしており、帰宅後もやるきがしなかったが、さきほど、ウーマンラッシュアワーなるお笑いコンビの動画を見た。基地・原発・震災・オリンピックと実に鋭く社会的な問題を抉り出している。

 沖縄には「お笑い米軍基地」をやり続けているグループがあるが、吉本興業にもこんな逸材がいたのか。驚いて目が覚めた。問題の出し方が、問題群を比較しながら俎上にすえており、誰が見ても分かりやすいから、思わず、そうかとなる。根本問題を『国民の意識の低さ』に求めるところも、痛烈だ。全く同感。ただ、意識の低さはどのように作られてきたのをを考えないと、それ以上前に進まない。私たちのバカさ加減を笑い飛ばしながら、正面から前を見つめることの重要性を彼らにも考えていただきたい。
 今後も大いにやってほしい。ご覧の通りネタは尽きないのだから。まただからこそ、バッシングもあるだろう。大胆さには、用心深さがなければ続けられない。彼らを支える/批判できる賢いファンがあふれることを期待する。
http://www.huffingtonpost.jp/2017/12/17/the-manzai-wr_a_23310064/
〇私は早速お気に入りに入れておいた。https://twitter.com/wrhmuramoto?lang=ja

2017年12月 1日 (金)

改めて考えた-私は何故、朝陽・夕陽を撮るのか?

 私はここ数年、サンライズ・サンセットを意識的に殆ど撮らなくなっていた。理由は簡単。朝陽・夕陽は誰がとっても美しいものだからだ。長年撮ってきたので、まぁいいかとも思っていた。こんな私が心変わりを起こしたのだ。

 つい先日のことだ。たまたま名護湾の西日を見て、これを撮るかと思ったのだ。この赤い光の中に、明日への希望が見えそうな気がしたのだ。次への可能性を見て取れるかと。

 善は急げと、11月29日、辺野古の朝陽、30日、大浦湾瀬嵩の朝陽。2連ちゃん。全く別の感じで、よかった。30日の朝陽は雲間に隠れてストレートに出なかったが、かえって味わい深かった。そして気がついた。

 朝陽、夕陽は、私たち人類の原初的な価値を照らし出しているのではないか。決して、太陽はどこかの国家に属するものではないのだ。どこかの民族や宗教を象徴するものでもない。人類共通の価値なのではないか。だからこそ、国籍や民族性にかかわらず、人は太陽を見つめ、包まれて感動を覚えるのではないか。

 私はナショナリズムから解放された自由な人類の可能性を追求していきたい。昔、某国は「太陽の国」と称し、「旭日旗」を掲げて、自滅したが、奴らは何一つ反省せず、今また同じ過ちを繰返そうとしている(トホホ)。

 そういえば、かれこれ20年ほど前の冬。アイヌモシリの知床・ウトロの夕陽で知られている峠で、サンセットを見た。たまたま通りかかった東欧の人たち(カップルだった)も立ち止まり感動していた。足下には粉雪が、岩の下はオホーツクの青氷が浮かぶ海だ。そこに長い太陽のラインが浮き上がっていた。私は忘れない。宿まで歩けば1時間以上かかる道を私は彼らの車に乗せていただいて、戻ったのだった。

 しかし、今や「米国ファースト」、「日本ファースト」、「東京ファースト」などの愚劣さが際立つ時代になった。「ファースト」があれば、別に「以下」がいると、悪罵を投げつける。軍事でのしあがるのだという破廉恥の館が沖縄を押さえつけ、アジアを、世界をあざ笑う時代になってしまった。

 先日のコンサートでマンドリン奏者の平丈子さんが「音楽は世界の共通語」だと語っていたが、私たちは、共通の喜びを、悲しみを、可能性をもちたいものだ。分かち合いたいものだ。

 考えてみれば、誰もが感動できる太陽を国家の独占物(象徴)にする策略は、なかなか手ごわいものだ。万民が共有できるからこそ、「俺達が」と独占しようとしてきたのではないか。独裁政治の虜から太陽を解放するためにも、私は朝陽・夕陽に改めてこだわりたい。そして人間が生き残れる道を歩みたい。私たち自身が独裁の罠に陥らないように、自らを解放していこう。

2017年11月25日 (土)

秋田からマンドリン奏者を迎えてのコンサートに行ってきた

 今日2017年11月25日夕方、名護市労働福祉センターでマンドリンとギターによる平和を願うコンサートが開催された。奏者はマンドリンの平丈恵(たいら・ともえ)さんとギターの大城松健さん。平さんは秋田からこの日の為に来てくださった。

 「『音楽』と『平和』そして『沖縄』への思いを込めて」と事前のチラシにあったが、愛を奏でるマンドリンと伴奏で支えるギターの調和は、素晴らしかった。平さんは音楽は「世界の共通語」と言われているが、確かに対立と分断を超える可能性を帯びているものだ。
 最初のチャプターは、「秋田と沖縄」とあり、「島人ぬ宝」、「てぃんさぐぬ花」と「秋田県民の歌」、「浜辺の歌」だった。前者については解説の必要はないだろうが、秋田の歌の2曲は同じ作曲者(成田為三)と作詞者(倉田政嗣)による曲。私が秋田県民の歌を聴いたのはこれが初めてではなかった。私の秋田県出身の友人が以前にコンサートを開いたときにも聴いた曲だ。
 後半は「世界の平和を願う」と題して、「ふるさとファンタジー」、「パッサカリア」、「愛の歌」(以上がマンドリンソロ)、「羽衣伝説」(ギターソロ)、「さとうきび畑」、「島唄」、「杜の鼓動」と続いた(以上デュオ)。調べは微妙に細やかであり、マンドリンを脇から軽やかに支える絶妙なギター。羽衣伝説のギターは、松健さんの実力を遺憾なく発揮していた。私の言葉ではとうてい言い尽くせず、「お見事!」と言うしかない。「非暴力と博愛の精神でもって、平和を願う県民、全国の心ある人々と共に手を取り合い、ねばり強く、決して諦めず、平和という希望に向かって前進していきましょう」と、松健さん。
 会場に200名を越える方々が集まり、一時を共に過ごすことができた。お二人と制作スタッフに感謝したい。
 名護市でもこうした試みは貴重であり、広がりのある文化的なつながりからも、もっともっと前を見続けていきましょう。私は、静かに音楽を楽しめる街・名護市に、決して飛行騒音に襲われない街にしたいと改めて思いました。みんなの努力で。

2017年11月20日 (月)

沖縄県芸術文化際でおきたこと-芸術と政治を巡って

 第46回沖縄県芸術文化際(主催:沖縄県、県文化振興会)が開催中だ(県立美術館)。そこでおきたことを紹介したい。パンフレットに屋良朝彦審査委員長(美術部門)が寄稿した総評原稿から「静謐に芸術に向き合えるかと思ったが予期せぬ衆院解散により巷は気忙しい雰囲気となってきた」「追いうちをかけるように高江での米軍ヘリ炎上事故の発生、平和であることが芸術活動の大前提である。それさえも危うい沖縄の現状は容認できないし、やるせない」とかかれていた。これを担当課がばっさり削ったのだ。本人の承諾を得ないまま。

 沖縄タイムスの取材に対して県は「パンフレットに掲載された内容については県が責任を負うことになる。県の発刊物に個人的な見解を載せることに対しての疑義が寄せられることもある」などと説明したようだ。これでは執筆者の屋良さんが納得するわけがないだろう。
 以下は私の見解。芸術活動とは個人に属するものだ。そして郷土の芸術はその地域から起こり、継承され、新たにされてきたものだ。ここ沖縄は、沖縄戦等によってその芸術の基盤がぶち壊された中で、今があるのだ。沖縄県の担当課がこんな基本のキをわきまえていないのだろうか。あきれ返る。あれから72年も経って屋良さんが指摘されるような現状が頻発しているのだ。これを「個人的な見解」だと切り捨てることは、一般的な表現の自由の侵害以上に許されないことだ。
 沖縄県は疑義が寄せられたら面倒だと考えたのだろう。だが、長いものに巻かれていたら芸術はろくなものができるはずがない。こんなことをやっていたら沖縄の芸術は翼賛芸術になってしまうだろう。担当課こそが盾になる覚悟が必要だ。沖縄の歴史と現実を踏まえ直すべきときなのだ。まして翁長県政が何をやっているのか!
 芸術と政治はなかなか難しい問題だが、人の心が技が生み出す芸術が政治に荒らされてはならない。芸術が政治を変えることは、なかなかできないが、人の心を変えることはできるのだ。

2017年11月18日 (土)

「世界一のクリスマス・ツリー」の企画者に送る言葉

◎「世界一のクリスマスツリー」なるものがツイッター(ハッシュタグ)にあったので、ひとこと。 

 
 私が知っている大きなクリスマスツリーは、東京都の奥、奥多摩の大岳の山頂下にあったね。無論、生きたモミの木。不思議なことにクリスマスの頃、大岳に登ると、高い木の枝に飾りがついているのを見上げたものだった。むろん、枝に付いている雪はほんものだ。高さ20mは越えていた。今も健在なのかな?
 この神戸のクリスマスツリーはクレーンで吊られて設置されたようだ。辺野古で多数のクレーンを見せ付けられている私には、これだけで気持ち悪くなってくる。
 クリスマス・ツリーは、人・家庭それぞれのものであり、世界一を競うものじゃないだろうに。こうした発想がヘンだよね。私が子どもだった時代のクリスマス・ツリーは、その時期が終わると庭に植えなおしていた。枯れたのもあったけど。自分の子どもには、模造品だったが、それなりに楽しめた。何年も使っていた。一人ひとりのクリスマス・ツリーをクリスマスを大切にして欲しい。

うるま市のイチハナリアートで米軍批判の作を非公開だと

 うるま市のイチハナリアートで(主催:うるま市観光物産協会)で11月18日から展示されるはずだった一作品が非公開に。問題にされたのは京都の美術家、岡本光博さんの作で、『落米のおそれあり』。星条旗とパラシュート、戦闘機、戦車、ヘリコプターが黄色のバックに描かれている。

 地元の伊計自治会の玉城正則会長は芸術祭の開催はあくまでも島の活性化が目的だと。「政治的な作品は見る人に島のメッセージという誤解を与えてしまう。活性化につながらない」と憤っているそうだ。
 しかし「島の活性化」に繋がるか否かで芸術は分けられ、排除されるものではない。会場となる4つの島は、北側に金武湾が広がる場所だが、北側に嘉手納基地から飛行機等が飛び。南側に普天間基地からも飛んでいく。近くの浮原島や津堅島などは演習海域だ。そして平安座島に石油備蓄基地が造られ、よき魚場が壊されてきた歴史をもつのだ。
 真の意味で島の活性化を考えるのであれば、もっともっとこうした現場から自然や文化も混じえたアートが生まれる必要があるのではないか。様々な問題が浮かび上がることにこそ、芸術作品の、野外芸術祭の意味がある。
 また、何が「政治的」なのかも考えてもらいたい。安保・基地と言う政治を隠すのがアートなのか、これこそ政治的ではないのか。俗に言う政治の裏側を読み解かなければ、ペケなのだ。問題なのは人々が平穏に、ハツラツと、元気に生きられることだろう。無論、飯の種も含めてまちづくりをやらなければならない。そうしたなかで、アートに何ができるのかを考えるべきだろう。
 私は、物議をかもすことがこれからの島の活性化になるかもしれないと、敢えて考えてみて欲しい。そこにあるものをみないふりして、「芸術イイネ」はないのだ。

2017年10月27日 (金)

「沖縄現代史を見る」with沖縄映像祭(17年11月4日5日)

17年11月4日、5日に沖縄国際大で「沖縄現代史を見る」with沖縄映像祭が行なわれる。主催は沖縄国際大の沖縄法政研究所。4日のシンポは「復帰とその前後を考える」、5日は「映像教育の可能性」

 上映作品は26本。沖縄戦、米軍統地、沖縄返還、終わらない戦後、基地、自然文化の6部門。全てが沖縄のテレビ局が制作した作品。とても2日間で見切れないだろうが、関連軸を絡み合わせてみれば、随分と理解が深まり、現実とのギャップが埋まるかもしれない。
 詳細はこちらを。
http://www.bun-kei.jp/schedule2017/

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