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文化の目

2017年12月 1日 (金)

改めて考えた-私は何故、朝陽・夕陽を撮るのか?

 私はここ数年、サンライズ・サンセットを意識的に殆ど撮らなくなっていた。理由は簡単。朝陽・夕陽は誰がとっても美しいものだからだ。長年撮ってきたので、まぁいいかとも思っていた。こんな私が心変わりを起こしたのだ。

 つい先日のことだ。たまたま名護湾の西日を見て、これを撮るかと思ったのだ。この赤い光の中に、明日への希望が見えそうな気がしたのだ。次への可能性を見て取れるかと。

 善は急げと、11月29日、辺野古の朝陽、30日、大浦湾瀬嵩の朝陽。2連ちゃん。全く別の感じで、よかった。30日の朝陽は雲間に隠れてストレートに出なかったが、かえって味わい深かった。そして気がついた。

 朝陽、夕陽は、私たち人類の原初的な価値を照らし出しているのではないか。決して、太陽はどこかの国家に属するものではないのだ。どこかの民族や宗教を象徴するものでもない。人類共通の価値なのではないか。だからこそ、国籍や民族性にかかわらず、人は太陽を見つめ、包まれて感動を覚えるのではないか。

 私はナショナリズムから解放された自由な人類の可能性を追求していきたい。昔、某国は「太陽の国」と称し、「旭日旗」を掲げて、自滅したが、奴らは何一つ反省せず、今また同じ過ちを繰返そうとしている(トホホ)。

 そういえば、かれこれ20年ほど前の冬。アイヌモシリの知床・ウトロの夕陽で知られている峠で、サンセットを見た。たまたま通りかかった東欧の人たち(カップルだった)も立ち止まり感動していた。足下には粉雪が、岩の下はオホーツクの青氷が浮かぶ海だ。そこに長い太陽のラインが浮き上がっていた。私は忘れない。宿まで歩けば1時間以上かかる道を私は彼らの車に乗せていただいて、戻ったのだった。

 しかし、今や「米国ファースト」、「日本ファースト」、「東京ファースト」などの愚劣さが際立つ時代になった。「ファースト」があれば、別に「以下」がいると、悪罵を投げつける。軍事でのしあがるのだという破廉恥の館が沖縄を押さえつけ、アジアを、世界をあざ笑う時代になってしまった。

 先日のコンサートでマンドリン奏者の平丈子さんが「音楽は世界の共通語」だと語っていたが、私たちは、共通の喜びを、悲しみを、可能性をもちたいものだ。分かち合いたいものだ。

 考えてみれば、誰もが感動できる太陽を国家の独占物(象徴)にする策略は、なかなか手ごわいものだ。万民が共有できるからこそ、「俺達が」と独占しようとしてきたのではないか。独裁政治の虜から太陽を解放するためにも、私は朝陽・夕陽に改めてこだわりたい。そして人間が生き残れる道を歩みたい。私たち自身が独裁の罠に陥らないように、自らを解放していこう。

2017年11月25日 (土)

秋田からマンドリン奏者を迎えてのコンサートに行ってきた

 今日2017年11月25日夕方、名護市労働福祉センターでマンドリンとギターによる平和を願うコンサートが開催された。奏者はマンドリンの平丈恵(たいら・ともえ)さんとギターの大城松健さん。平さんは秋田からこの日の為に来てくださった。

 「『音楽』と『平和』そして『沖縄』への思いを込めて」と事前のチラシにあったが、愛を奏でるマンドリンと伴奏で支えるギターの調和は、素晴らしかった。平さんは音楽は「世界の共通語」と言われているが、確かに対立と分断を超える可能性を帯びているものだ。
 最初のチャプターは、「秋田と沖縄」とあり、「島人ぬ宝」、「てぃんさぐぬ花」と「秋田県民の歌」、「浜辺の歌」だった。前者については解説の必要はないだろうが、秋田の歌の2曲は同じ作曲者(成田為三)と作詞者(倉田政嗣)による曲。私が秋田県民の歌を聴いたのはこれが初めてではなかった。私の秋田県出身の友人が以前にコンサートを開いたときにも聴いた曲だ。
 後半は「世界の平和を願う」と題して、「ふるさとファンタジー」、「パッサカリア」、「愛の歌」(以上がマンドリンソロ)、「羽衣伝説」(ギターソロ)、「さとうきび畑」、「島唄」、「杜の鼓動」と続いた(以上デュオ)。調べは微妙に細やかであり、マンドリンを脇から軽やかに支える絶妙なギター。羽衣伝説のギターは、松健さんの実力を遺憾なく発揮していた。私の言葉ではとうてい言い尽くせず、「お見事!」と言うしかない。「非暴力と博愛の精神でもって、平和を願う県民、全国の心ある人々と共に手を取り合い、ねばり強く、決して諦めず、平和という希望に向かって前進していきましょう」と、松健さん。
 会場に200名を越える方々が集まり、一時を共に過ごすことができた。お二人と制作スタッフに感謝したい。
 名護市でもこうした試みは貴重であり、広がりのある文化的なつながりからも、もっともっと前を見続けていきましょう。私は、静かに音楽を楽しめる街・名護市に、決して飛行騒音に襲われない街にしたいと改めて思いました。みんなの努力で。

2017年11月20日 (月)

沖縄県芸術文化際でおきたこと-芸術と政治を巡って

 第46回沖縄県芸術文化際(主催:沖縄県、県文化振興会)が開催中だ(県立美術館)。そこでおきたことを紹介したい。パンフレットに屋良朝彦審査委員長(美術部門)が寄稿した総評原稿から「静謐に芸術に向き合えるかと思ったが予期せぬ衆院解散により巷は気忙しい雰囲気となってきた」「追いうちをかけるように高江での米軍ヘリ炎上事故の発生、平和であることが芸術活動の大前提である。それさえも危うい沖縄の現状は容認できないし、やるせない」とかかれていた。これを担当課がばっさり削ったのだ。本人の承諾を得ないまま。

 沖縄タイムスの取材に対して県は「パンフレットに掲載された内容については県が責任を負うことになる。県の発刊物に個人的な見解を載せることに対しての疑義が寄せられることもある」などと説明したようだ。これでは執筆者の屋良さんが納得するわけがないだろう。
 以下は私の見解。芸術活動とは個人に属するものだ。そして郷土の芸術はその地域から起こり、継承され、新たにされてきたものだ。ここ沖縄は、沖縄戦等によってその芸術の基盤がぶち壊された中で、今があるのだ。沖縄県の担当課がこんな基本のキをわきまえていないのだろうか。あきれ返る。あれから72年も経って屋良さんが指摘されるような現状が頻発しているのだ。これを「個人的な見解」だと切り捨てることは、一般的な表現の自由の侵害以上に許されないことだ。
 沖縄県は疑義が寄せられたら面倒だと考えたのだろう。だが、長いものに巻かれていたら芸術はろくなものができるはずがない。こんなことをやっていたら沖縄の芸術は翼賛芸術になってしまうだろう。担当課こそが盾になる覚悟が必要だ。沖縄の歴史と現実を踏まえ直すべきときなのだ。まして翁長県政が何をやっているのか!
 芸術と政治はなかなか難しい問題だが、人の心が技が生み出す芸術が政治に荒らされてはならない。芸術が政治を変えることは、なかなかできないが、人の心を変えることはできるのだ。

2017年11月18日 (土)

「世界一のクリスマス・ツリー」の企画者に送る言葉

◎「世界一のクリスマスツリー」なるものがツイッター(ハッシュタグ)にあったので、ひとこと。 

 
 私が知っている大きなクリスマスツリーは、東京都の奥、奥多摩の大岳の山頂下にあったね。無論、生きたモミの木。不思議なことにクリスマスの頃、大岳に登ると、高い木の枝に飾りがついているのを見上げたものだった。むろん、枝に付いている雪はほんものだ。高さ20mは越えていた。今も健在なのかな?
 この神戸のクリスマスツリーはクレーンで吊られて設置されたようだ。辺野古で多数のクレーンを見せ付けられている私には、これだけで気持ち悪くなってくる。
 クリスマス・ツリーは、人・家庭それぞれのものであり、世界一を競うものじゃないだろうに。こうした発想がヘンだよね。私が子どもだった時代のクリスマス・ツリーは、その時期が終わると庭に植えなおしていた。枯れたのもあったけど。自分の子どもには、模造品だったが、それなりに楽しめた。何年も使っていた。一人ひとりのクリスマス・ツリーをクリスマスを大切にして欲しい。

うるま市のイチハナリアートで米軍批判の作を非公開だと

 うるま市のイチハナリアートで(主催:うるま市観光物産協会)で11月18日から展示されるはずだった一作品が非公開に。問題にされたのは京都の美術家、岡本光博さんの作で、『落米のおそれあり』。星条旗とパラシュート、戦闘機、戦車、ヘリコプターが黄色のバックに描かれている。

 地元の伊計自治会の玉城正則会長は芸術祭の開催はあくまでも島の活性化が目的だと。「政治的な作品は見る人に島のメッセージという誤解を与えてしまう。活性化につながらない」と憤っているそうだ。
 しかし「島の活性化」に繋がるか否かで芸術は分けられ、排除されるものではない。会場となる4つの島は、北側に金武湾が広がる場所だが、北側に嘉手納基地から飛行機等が飛び。南側に普天間基地からも飛んでいく。近くの浮原島や津堅島などは演習海域だ。そして平安座島に石油備蓄基地が造られ、よき魚場が壊されてきた歴史をもつのだ。
 真の意味で島の活性化を考えるのであれば、もっともっとこうした現場から自然や文化も混じえたアートが生まれる必要があるのではないか。様々な問題が浮かび上がることにこそ、芸術作品の、野外芸術祭の意味がある。
 また、何が「政治的」なのかも考えてもらいたい。安保・基地と言う政治を隠すのがアートなのか、これこそ政治的ではないのか。俗に言う政治の裏側を読み解かなければ、ペケなのだ。問題なのは人々が平穏に、ハツラツと、元気に生きられることだろう。無論、飯の種も含めてまちづくりをやらなければならない。そうしたなかで、アートに何ができるのかを考えるべきだろう。
 私は、物議をかもすことがこれからの島の活性化になるかもしれないと、敢えて考えてみて欲しい。そこにあるものをみないふりして、「芸術イイネ」はないのだ。

2017年10月27日 (金)

「沖縄現代史を見る」with沖縄映像祭(17年11月4日5日)

17年11月4日、5日に沖縄国際大で「沖縄現代史を見る」with沖縄映像祭が行なわれる。主催は沖縄国際大の沖縄法政研究所。4日のシンポは「復帰とその前後を考える」、5日は「映像教育の可能性」

 上映作品は26本。沖縄戦、米軍統地、沖縄返還、終わらない戦後、基地、自然文化の6部門。全てが沖縄のテレビ局が制作した作品。とても2日間で見切れないだろうが、関連軸を絡み合わせてみれば、随分と理解が深まり、現実とのギャップが埋まるかもしれない。
 詳細はこちらを。
http://www.bun-kei.jp/schedule2017/

2017年9月16日 (土)

「いのちの海 辺野古・大浦湾」雑感

 謝名元慶福監督の「いのちの海 辺野古・大浦湾」が完成し、今日見てきた。少々雑感を書く。

 イントロは二見トンネルだ。あの「ニュース女子」が大宣伝したトンネルを超えたら怖いぞの。二見といえば「二見情話」だ。これは沖縄戦の中の悲話。2つの暗黒を示唆しながら、私たちは辺野古・大浦湾の生物多様性豊かな海に誘われる。あらためて美ら海ぶりに感嘆させられる。
 何でここに新基地なのか。普天間基地、伊江島、北部訓練場。沖縄戦の話にもしっかりとふれている。
 ゲート前での、海上での闘い、ヘリ基地反対協議会の、命を守る会の闘いと人々に触れながら闘いの継続性を静かに訴える。統一連事務局長の瀬長和男さんが瀬長亀次郎の孫であることを示す写真が出てきたのには、オーと思った。余談はともかく、闘う現場を取り上げればきりがないのが現状だが、サンシンの日の弾圧を描き、権力の暴力性を暴き出す。また、誰かをヒーロー、ヒロインとして描かない。辺野古・大浦湾で頑張ってきた、頑張っている人たち皆が主人公なのだ。「俺の、私の出番が少ない」などと言うなかれ。一人ひとりの力が全体に繋がっているのだから。全体の力を一人ひとりが栄養にして頑張っているのだから。
 余談ながら、私が写した墜落したオスプレイも、牧志治さんの水中写真と共にしっかりと入れていただいた。字幕やCDの解説にも。一人ひとりの参加が大きな力になっていくはずだ。諦めずにがんばろう。
 
追記:これまでの何人もの人たちが撮った記録が再編集されて、一層の力になっている。人と人のつながりこそが大切なのだと、ものづくりの視点からも確認できる映画になっている。
 
 販売価格は2000円。制作:文化工房 慶 bunkakoubou-kei@yahoo.co.jp

2017年8月28日 (月)

映画「人生 フルーツ」とヤンバル・シネマの今後について

 17年8月27日、10時から11時30分、名護市の名桜大でヤンバル・シネマ立ち上げの企画「人生 フルーツ」を鑑賞した。雑感を述べておきたい。

 まず『人生 フルーツ』だが、私にはいささか眠たかった。ある設計技師の開発に携わった回顧から、夫婦睦まじく、エコに生きる美しい構図だ。素敵な人生であるし、羨ましくもあるが、私にはピント来なかった。
 また、標題はよくわからなかったが、見てもよく分からなかった。イメージ先行で、フルーティでもなければ、フルーツが核心でもない。極一部の人間が、たとえエコに生きれたとしても、それだけでは、なんだっていうの。良いね、うらやましいで終わる。
 60年代からエコロジー(生態学)を多少研究してきた私からすると、イメージ・エコロジーであり、もっと悪く言えば、イージー・エコロジーだ。ご本人たちは、もっとまじめに追求しようとしていたのかもしれないが、映画の作り方が、淡々としすぎていて(掘りが浅くて)、ジャスト・ミートしていなかったのかもしれないが。
 参加者は250名だったと。初回だから程ほど集まったし、いい出発だった。ヤンバル・シネマは、那覇に行かずとも映画を地元やんばるで見たいということだ。私も共感するし、今後も協力していきたい。ただ、これが名護中心主義になっていいのか。やんばるだから、本部も今帰仁も、大宜味も、国頭も、金武も、恩納もあるのだ。実行委員会にそれぞれの人がいないとできないが、持ち回りにしてやるとか、会場の問題があれば、そこの工夫からしてやらなければならないかもしれない。
 これはやや余談かもしれないが、私は名桜大学の構内に初めて入った。素晴らしい展望が開けている。これをたかが大学生の特権的展望にしてはいかんだろう。森を壊して造った大学である以上、大学が名護の山・森・海に如何に恩返しをしていくのか。
 『人生 フルーツ』の彼の若き時代の開発に携わった立場に近い場所で、ヤンバル・シネマの初企画が行なわれたようだ。お断りしておくが、私は嫌味で言っているのではない。正直に言えば、昨日会場に居たときは、ここまで考えが及ばなかったのだ。
 尚、開会の挨拶に立った大城ショーケンさんのクラシック・ギターの演奏が良かった。ギターの音をマイクを通さなくても、しっかりと細やかに聴こえたことも付記しておきたい。ありがとう。

2017年8月 5日 (土)

「人生 フルーツ」上映と、やんばるシネマ上映会に寄せて

 先日、名護での映画上映の枠ができたと聞いた。何のことだろうと戸惑ったのだが、少し分かってきた。「やんばるシネマ」と称する映画上映運動の主体ができたようだ。そこが主催する形で、毎月上映会をやるらしい。

 沖縄で映画を観るとなると、やはり那覇にでかけることになる。あるいは、沖縄市まで行くかだ。ほかは自主上映運動は可能だが。

 最近、「母」、「スノーデン」と那覇まで自主上映の作品を見に行った。「標的の島 風かたか」は那覇の桜坂劇場まで行ったが。

 上映時間+3、4時間(移動時間)はなかなか辛いのだ。

 だから、少しでも鑑賞の機会が地元で増えることは嬉しい。その第1回が「人生 フルーツ」だという。タイトルを見ると、何のこと? チラシには「人生は、だんだん美しくなる」とあるが、この映画は、津端修一さん(90歳)と英子さん(87歳)の人生の軌跡。

http://life-is-fruity.com/news/

 日々の暮らしの中の具体的なこと。今の自分とは無縁のようだが、こっちは写真があるさ、ということにしておく。彼は元建築士、彼女は、手しごとが好きな人。

 急速に醜くなっている時代の中で、これまでとこれからを考えるのに、きっといい映画に違いない。

 日時:17年8月27日 10時から11時40分。

 会場:名桜大学ホール。

 前売り券:1000円(当日1200円) 学生 800円。高校生以下 500円

 主催:やんばるシネマ 

 ●問い合わせ 090(9081)1597 豊島 090(1941)6705 上野

次回予告:9月24日 「知事抹殺の真実」 名護市民会館 

 

◎と、喜んだのだが、8月27日は私の写真展の終了日。早々に後片付けにいかなければならないのだ。やはり移動は避け難いのか。

2017年7月 9日 (日)

休養日の朝、「ZAN」を巡って(17年7月9日)

 昨日は、辺野古からいささか早めに引き揚げた。これは自分がではなく、別の事情から。一旦帰宅して、シャワーを浴びて、大浦湾沿いにある緑風学園で開催された映画「ZAN」を見に行った。

 映画の内容は、「ザン」ことジュゴンの生態と文化を追う話であり、ここ大浦湾は第一級の生息地だったのだ。この映画の中で、ジュゴンは三重県鳥羽の水族館のジュゴン(フィリピン産)しかでてこないのが、現状を現している。新基地建設に揺れる現状と重ねあわせて、この海を守ろうとする活動もでてくる。それにしても水中撮影は素晴らしく、この海のサンゴ礁と魚や甲殻類等が生きるさまは、限りなく美しい。

 この海を壊そうとする行為は暴挙というほかないが、ことはそう単純ではない。ジュゴンの不幸は米軍基地によってばかりもたらされたものではないからだ。人間の蛋白源として食用にされていた時代があったのだ。ジュゴンの食生活は浅瀬にしか生えない光合成を行う水草しか食べないので、人間との接点がありすぎたのだろう。無論、この背景には沖縄戦による食糧不足もあっただろう。そして森が海が米軍基地に囲い込まれ、他方で森林伐採や農地化による赤土の流失が海草が生えるも場やサンゴ礁の海を傷めてきた。72年5月15日と同時に天然記念物に指定されたジュゴンだが、保護策やそのための調査は回避され続けてきた。

 人間との接点が多い場に生きるしかない種であるがゆえに、私たち人間の責任が大きいのだ。日米政府は、こうした事実を知りながら、新基地建設に猛進している。許しがたい犯罪的な行為を繰り返してきたが、埋立ての第1段階に入っているのだ。環境省は外務省・防衛省の前で、だんまりを決め込んでいる。

 この映画には、こうした観点からの突込みが弱い。自分でも弱かったので、余り責任を追及できる立場にないが、お陰で自分なりに課題としたい視点が見えてきた。因みに、この映画のラストに、スペシャルサンクスの表示が出てくる。そこに私の名前も記されている。こちらこそ、殆ど映画製作に貢献できず、申し訳なかった。記してお詫びを。

 人間は偉そうにいうが、地球の自然を収奪し、破壊し続けてきた。その最大の愚行が戦争だ。唯我独尊で他人を痛めつける文化を脱して、労わりあうことのできる文化に舵を切りたいものだ。どうしたら、可能になるのだろう。

 話は変わるが、昨日の会場は体育館。暑い、音響が悪い、だった。体育館で音響がいいとこなど、私は聴いたことがないので、悪いのは予想できたが、会場は外になかったのだろうか。

 今日は休養日にして、色々なことに当たりたい。

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