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寄稿文

2018年3月18日 (日)

名護市長戦後の私的メモランダム(180225記)

:負けた

 去る2018年2月4日投開票の名護市長選は、大方の予想を覆され、稲嶺進市長の3選はならなかった。しかし私は客観的な評価として負けを予測していた。

 自民党・公明党と維新の会の推薦を受けた渡具知武豊陣営は、徹底的な争点ずらしと、事実を捻じ曲げたフェイク宣伝等で、基地建設が名護市民にもたらすだろうシビアな近未来をぼやかし、稲嶺進市長の実績を闇に葬った。相手候補は、公開対話の要請を悉く断り、論理破綻の隠蔽に全力をあげた。そして薄ぼんやりとした「豊かな名護市の未来」に「こっちの水が甘いぞ」とばかりに相対多数の市民の目を向けさせたのだ。要点は拙稿「地域の民主主義が壊された名護市長選」―『人民新聞』に寄稿。ブログ「ヤマヒデの沖縄便り―Ⅱ」でも読める。

 

:私の予測の根拠 

 私の予測は12月段階からだ。7月に名護市議の渡具知武豊氏が相手陣営の候補者として浮上した。これは名護市自民党が決めた。自民党中央や同党沖縄県連でも合意されていなかった。10月に沖縄県連の合意が取れ、12月に公明党沖縄県連が全面的に同調。同時に自民党中央や安倍政権から大物と言われる人たちが名護入りを始めていた。10月から3ヶ月の間に「ステルス」作戦といわれたローラー作戦が投票日まで徹底的に行なわれたのだ。こうした動きは断片的だが私たちにも聞こえてきた。

 他方、彼らは、表の舞台でも12月の早くから元気一杯、激しい選挙活動を繰り広げていた。彼らの街宣車が通ると、「ありがとうございます」などと、通りがかりの人が支持を示そうが否かを問わず、渡具知候補へと街の雰囲気を作り出していった。

 稲嶺陣営は、現職ということもあって、先走りを抑制していた。控えめすぎた。その間に「名護市を変えよう」のイメージが広げられていたのだ。警察の規制も明らかに稲嶺陣営に厳しいものだった。

 私は稲嶺選対の内情を知らないが、①新基地建設阻止の日々の緊張した現場に引きづられたこともあり、②日々護岸建設が進んでいる現状に押されたことも否めない。③そして稲嶺市長の実績を評価しすぎ、相手候補を見くびった余り、この選挙が国の総力戦だということを十分に掴みきっていなかったのだ。

 因みに2010年の初選、14年の再選の時は、街中に「稲嶺必勝」の気概が溢れていたことを私ははっきりと思い出す。

:敗戦の何が痛いのか? ①住民自治に関して

 稲嶺市長・陣営は、一貫して、子どもの未来を軸にすべての名護市の政治を語り、実践してきた。だからこそ「名護市のことは市民で決めよう」と主張してきた。「新基地=再編交付金に頼らず、できる」と言ってきた。しかし最も肝心なこの問題を市民ひとりひとりの暮らしの中に浮上させることができなかったのだ。なぜこうした結果を招いてしまったのだろうか?

 この問題は様々なレベルから総括すべきだろう。これに答えることは、今の私には荷が重過ぎる。だから一例になる。私自身名護市民になって、4年余りになるが、辺野古・大浦湾の現場にどうしても集中しており、一人の住民として、市民自治の主体として、係われていない。たとえば名護市民に辺野古テント村で話をすることはできても、外に開かれた関係を作り出せていない。

 観光政策についていえば、名護市も沖縄全体も、優れた資源をもっている。だが、米軍基地に侵犯されているために、また、市民の日常の中に優れた資源がありすぎて、ひとつひとつの資源の価値に市民が疎いのだ。さらにひとつひとつの場を繋ぎ時間を結ぶ対策が取られていない。観光の基礎的資源こそ住民(の人間力)なのに、この自覚が足りないのではないか。人を呼ぶことは工夫次第でまだまだ可能だ。

 また、これは選対の意識を反映しているようだが、「稲嶺候補に市政をお任せください」と言ってしまうのも、私はダメだと思う。「住民と共に」を滲み出す訴えが重要だ。こうでないと、「善政」であればあるほど、市民のお任せ意識を助長してしまう。こうした緩みの間(8年)に、渡具知陣営のフェイク言論が潜入する隙ができていたのではなかったか。

:敗戦の何が痛いのか? ②新基地建設に関して

 

 これは痛すぎる。この結果、名護市長のいくつもの権限を失った。最大の権限は辺野古美謝川や辺野古川の管理権だ。特に美謝川の管理権は決定的だった。この川の流れを変えないことには本格的な埋立て工事に入れない。このまま埋め立て造成したら水が溢れ出すからだ。

 無論、市長の個別の権限だけでなく、基本姿勢の違いは余りにも大きい。特に翁長県政とのタイアップの力は潜在的にみえるが、安倍政権や防衛省、契約企業にとって、(民意を無視するということが)脅威だったはずだ。翁長県政にとっても新基地建設の地元の名護市の変節は痛い。出口調査や世論調査では60%余りが新基地建設に反対と言っても、論拠が弱まったことは否めない。

 このまま放置しておけば、基地建設そのものの是非が揺らいでいくだろう。私たちが地道な掘り起こし、確信の広がりを作り出していかなければ、9月の市議選や11月の県知事選にも対応できなくなるだろう。

 私達は、「海兵隊の撤退・移転」を掲げた新市長に何を要求していくのか。何を詰めていくのか。選挙での敗北が私たちの自壊に繋がることがないように、あらためて新基地建設を阻止し、海兵隊の撤退を求める中で、軍事力に頼らない、非暴力の闘いこそが人と人の、国境を越えた確かな絆を創り出せることを示していこう。

:結語 

 詳細はあらためて考えるしかないが、上記の2点をまとめて考えることが不可欠だ。

私はこれまで辺野古テント村などでこう語ってきた。「私たちは、諦めることはできません。再び沖縄を戦場にさせないために、造らせない以外の選択の余地はありません」と。自然環境の問題や日常的な基地被害の問題も大きな問題だが、この一点を曖昧にしない(後者の問題も重要であることは言うまでもない。複合的に考えることが重要)。

 私達はたじろいでいる時間も余裕もない。ゲート前でも海上でも市街でも、そしてネット環境の中でも、私達は歩み続けていく。皆様も共に歩まれんことを切に希望したい。またそのための歩み方を共に考えたい。


〇本稿は「沖縄の怒りと共に」104巻 18年3月11号に寄稿したものです。発行:うちなんちゅの怒りとともに! 三多摩市民の会発行

2018年2月20日 (火)

地域民主主義が壊された名護市長選(180214)

〇本稿は「人民新聞」に依頼されて寄稿したものです。明日発売(180221)とお聞きしましたので、やや早いですが、当ブログにもあげます。尚、続編を別紙に寄稿準備中。(180220 ヤマヒデ)〇追記:今日18年2月27日掲載紙が届きましたので補足します。掲載紙は「人民新聞」180215発行、通巻1640号。

 

Ⅰ市長選結果―稲嶺進さん3選ならず―

 新基地建設の帰趨に大きく影響し、今後の沖縄の進路に深く係わる名護市長選が18年2月4日、投開票された。結果は稲嶺進さんの3選はならず、自公が推薦した渡具知武豊(どぐちたけとよ―56歳)候補が当選した。

 有権者総数:48781人 稲嶺進:16931票、渡具知武豊:20389票、投票総数:37524票、有効投票総数:37320票。投票率:76.92%。因みに同時に行なわれた市議補選は仲尾ちあき:19782票、安次富浩:15927票、投票総数:37422票、有効投票総数:35709票。投票率:76.71%。当選はやはり保守陣営だった。

Ⅱ 如何なる選挙だったのか?

 何故こうした結果になったのだろうか。名護市の自民党会派は、党中央からの横槍を受けながらも、17年7月27日、渡具知市議を市長候補に選んだ。17年10月6日、自民党の沖縄県連が同氏に推薦状を出し、これで決まった。9月初旬に決定すると言われていたが、延期されていたのだ。17年12月27日、公明党の沖縄県連が支持を決定。7月からの5ヶ月で、彼ら自公の内部(党中央や日本政府とも)で大きな動きがあったのだろう。

 稲嶺進市長は、これまでの公約をほぼ果たし、市財政を立て直すなどの実績もあり、新基地建設反対を愚直に貫いてきた。しかし結果は逆転されたのだ。幾つかの報告があがってきている。①期日前投票が21660人であり、44.4%という異例な高さ。組織的な投票の呼びかけが執拗に行われたのだろう(私も期日前投票に行ったが、相当込み合っていた)。必ずしも企業などの組織だけではない。女性の方が多いのだ。②公明党・創価学会が地域を回り、「保育料の無料化」署名を集めていた。名前・住所・電話番号・メールアドレスまで書かせていたという。「選挙とは別」と言いながら、確実に投票への誘導の資料に使っただろう。③企業や団体のグルミ選挙もあちこちで行なわれた。私は伝聞だけでなく、直接聴いている。彼らは持てる組織・人の繋がりを網羅し、市外のルートからも手をつっこんできた。これは他市の市長・町長、同業のつながり、親戚・縁戚、同窓会など。総ざらいの態勢だった。④若い人を中心にインターネットを駆使した宣伝・伝達を徹底してやった。⑤従来の稲嶺支持の拠点にまで、渡具知派は地域拠点をつくりあげ、切り崩しに入った。⑥金銭による買収の証拠ははっきりしないが、選挙に誘い出し、物を買い与えるなども行なわれていた。

Ⅲ 地域民主主義を切り崩された

 今回の選挙の特徴は、こうした断片を寄せ集めるだけでは、言い表せない。地域の民主主義が壊されたからだ。安倍政権総がかりの指示と圧力が名護に押し寄せ、それも表面下での働きかけがすさまじかったようだ。名護市では2010年以来、市民自治・基地建設反対の勢力がイニシアチブをとり、勝ち抜いてきた。稲嶺進というたぐい稀な政治家・行政マンとの出会いがあったればこそだが、市役所を、まちを明るくしてきた。今回はこうした力が削がれていった。

 地域民主主義の破壊について幾つかの点を指摘する。①「辺野古」を完全に封印し、基地建設の進行をみせつけ、フェイクニュース、悪宣伝で、議論の芽を封じ込めた。②最たるものは、あたかも稲嶺市長の誕生が市民に余計な「負担」をもたらし、名護のまちを「分断」しているかのような悪宣伝。稲嶺市政は再編交付金がなくても逆に財政規模を膨らませ、収支を健全化させてきた。国からの軍事補助を受け取らなかった、だから市民は「損した」との悪宣伝。③分断をもたらしたのは、96年から自民党政権、自公政権がここに基地を造ろうとしてきたからだ。だがかかる倒錯を信じ込ませようとした。だから渡具知候補は、8回に亘る候補者同士の討論の場から逃げ回った。嘘がばれるから。気分は「刷新・改革」へ。彼らは考えることや議論を潰し、不審を煽ることをテーマにしたのだ。

Ⅳ 結語

 安倍政権の新基地建設の野望は巨大だ。ここでは詳述できないが、巨大な利権を手にし、戦争できる国を、沖縄に負担をおしつけるなかで、強行してきている。彼らは如何なる事件や事故がおきても何一つ責任を取らない、これも一貫した態度だ。

 こうした力に抗して、名護市民は闘うしかない。沖縄は地域民主主義と地域自治を基本に据え、この国の安保政治と闘い続けるしかない。日本は何処に行くのか? 沖縄は沖縄の道を追求していく。両者の間に広がる分断を私たちは、超えていきたい。

 

 

2017年12月22日 (金)

「島嶼部」を中心とした自衛隊「再配置」のアウトライン

〇以下の文は、「沖縄の怒りと共に」第103号(17年12月21日発行)に寄稿したものです。寄稿した後に細部を加筆修正しています。いささか長い文章になりましたが、まだまだ書き足りていません。(ヤマヒデ)

    「島嶼部」を中心とした自衛隊「再配置」のアウトライン 

                      山本英夫(フォトグラファー/名護市在住)

【1:改憲と自衛隊の「再配置」】

 安倍政権は、改憲をもくろむ裏で、自衛隊の「再配置」(「南西方面重視政策」)を進めている。琉球諸島の西端は与那国島。沖縄島の那覇から凡そ520キロ。東京から約2000キロ。この琉球諸島に軍事拠点を置き、中国に身構えながら、自衛隊を外征軍に転換しようとしている。この流れは16年3月28日与那国島にレーダー基地を新編させ、次のステップに入っている。

【2:米ソ冷戦構造-「日本列島不沈空母論」を振り返る】

 やや唐突かもしれないが、米国はヒロシマ・ナガサキに何故原爆を投下したのか。これには諸説あろうが、第2次世界大戦後の米ソ対立を米国に有利に進める意図もあった。そして米国によるアジア支配の要に日本を据え、沖縄を軍事拠点にした。あれから91年まで米ソ冷戦構造が続いた。1983年、時の中曽根康弘首相が「日本列島=不沈空母」論を提起した。結果的に熱戦にならなかったが、米国は日本を「極東」とみて、ソ連邦の喉元に突き刺さる刃だと、日本を「対ソ最前線」に組み込んでいた。

 91年、ソ連邦崩壊。これで核ミサイルのエスカレーションを伴う軍事緊張は、大幅に軽減された。このとき、米ソ冷戦構造に対応してきた米日安保体制は縮小・廃止されるべきだった。だが、私たちはこれを廃止に追い込めなかった。政府はPKO法をもちだし、安保の焦点化を避け、逆に海外派兵の道筋をつけたのだ。彼らは97年の日米軍事ガイドラインの改訂、99年、周辺事態法の成立を経て、2000年に陸上自衛隊の作戦要務令「野外令」を改訂し、実戦度を高めてきた。2004年の防衛計画大綱で「新たな脅威や多様な事態への実効的な対応」を打ち出し、そのひとつに「島嶼部に対する侵略への対応」を滑り込ませた。91年から13年後のことだった。

【3:大いなる転換点-2010年防衛計画大綱改訂の中で】 

 この国の政権は、上記改編を踏まえ、2010年12月「平成23年度以降に係わる防衛計画の大綱」を公表した。この10大綱は、従来の「基盤的防衛力構想」を破棄し「動的防衛力」を打ち出した。「基盤的防衛力構想」は、日本国憲法・「専守防衛」を掲げ、米ソ冷戦構造の力の均衡の中で、日本の防衛を打ち出していた。これに変わった「動的防衛力」論は、米ソの緊張関係が弾けた中で、敢えて力対力の軍事力を正面から打ち出した。

 10大綱は「Ⅴ防衛力の在り方」に「ア 周辺海空域の安全確保」に続け、「イ 島嶼部に対する攻撃への対応」等を置いた。自衛隊の改編として「(前略)冷戦型の装備・編成(戦車隊等)を縮減し、部隊の地理的な配置や各自衛隊の運用を適切に見直すとともに、南西地域を含む、警戒監視(主に戦闘艦への監視・攻撃)、洋上哨戒(主に潜水艦への監視・攻撃)、防空、弾道ミサイル対処、輸送、指揮通信等の機能を重点的に整備し、防衛態勢の充実を図る」とした。〈( )内は引用者註〉

 いささかわかりにくいが、国境のボーダーラインに触手を伸ばし、警戒監視、洋上哨戒を強め、平時から日々刻々戦時に備えると言うことだ。陸上自衛隊の島への駐屯は、その補強部隊である。更に、「(島嶼部に)必要最小限の部隊を新たに配置するとともに、部隊が活動を行う際の拠点、機動力、輸送能力及び実効的な対処能力を整備することにより、島嶼部への攻撃に対する対応や周辺海空域の安全確保に関する能力を強化」するとしている。「対処能力」とは、対空ミサイル、水陸両用装甲車等を駆使した軍事作戦能力のことだ。これらの再編は単なる地域的再編に留まらず陸海空3軍による全国的な攻撃、偵察・監視能力の強化と一体だ。

【4:安倍政権の2013年防衛計画大綱の突出力】

 安倍政権は、13年12月防衛計画大綱を改訂し、「専守防衛」を掲げていた「基本理念」を丸ごと削除。動的防衛力を「統合防衛力」へ、3軍の総力体制を打ち出した。「Ⅱわが国を取り巻く安全保障環境」で、しきりに「グレイゾーンの事態」を強調し、「領土や主権、海洋における経済権益等を巡り、純然たる平時でも有事でもない事態」に重ねてふれ、北朝鮮、中国、ロシアの問題点を挙げている(10年大綱も同様)。北朝鮮の「弾道ミサイル開発」と中国の東シナ海・南シナ海での「現状変更の試み等、高圧的ともいえる対応」をあげ、「強く懸念」すると。さらに「海洋国家であり、資源や食料の多くを海外との貿易に依存する我が国にとって、法の支配、航行の自由等の基本的なルールに基づく、『開かれた安定した海洋』の秩序」を強調してみせた。

 ところが「法の支配」「航行の自由」といえば、聴こえは良いが、お互いに力で押し合うことになる。その先鋒に「島嶼部」を利用しているのだ。

 安倍政権は、自ら取組むべき諸課題の解決を後回しに、資源や食料の海外依存度を高める一方、危機の原因を海の外に描き出し、「グレイゾーン」で軍事力を引き出し、ナショナルな秩序を持ち出している。衣の下に鎧(「対中脅威論」)を着込みながら。

【5:島々への配置の概要】

 13大綱で検討すべきことは多いが、先を急ぐ。この米国が定めた中国封じ込みの第1列島線は、南に東シナ海を見る対馬海峡、九州南部から奄美諸島、琉球諸島。そして台湾を経てフィリピン、ボルネオへ。ベトナムも巻き込んで。この海域は南シナ海だ。図上に記されただけの一方的な軍事ライン。

 与那国島は周囲30キロ足らずの面積約29平方キロ。台湾まで110キロだ。ここに6本のレーダーサイト(久部良とインビ岳の2箇所)を構えた陸上自衛隊(以下、陸自)の与那国駐屯地が16年3月28日、開設された。レーダー担当の技術系を含む110名と、警備隊(歩兵)50名。計160名と家族。この他、空自の移動警戒隊(レーダー)の50名が入ってくる。ここで異様なのが弾薬庫。武器は小銃、機関銃などだろうが、この規模の人員が使うにしては大きすぎる。50m四方はあり、がっちりしたコンクリート造り。今後、海自、空自のレーダーサイトが新設され、警備隊が増強される可能性も高いだろう。この島には1600mの与那国空港と島の東西に計2つの小さな港湾がある。町は自衛隊にヘリポートも提供している。

 石垣島は北東から南西に伸びる面積約223平方キロの島。南側に市街地がひろがり、その北側に標高526mの沖縄県最高峰の於茂登岳がどんと立つ。空港は2000mの新石垣空港。港は石垣港と新港の南港(大規模に建設中)。大型船が入る。陸自が警備隊と対空ミサイル部隊、対艦ミサイル部隊、約600名。予定地は於茂登岳(おもとだけ)南側の平得・大俣地区。標高50mから70mの小高い丘が続く地。防衛省が同地を適地としたのは、港湾、空港に程近く、標高200mの山に面しており、塹壕や移動ミサイル部隊の展開地(推定)を造成しやすいからだろう。石垣島にはこの他にも、山、海辺に演習場を造る余地がある。虎視眈々。

 宮古島は面積約199平方キロの平坦な島。周囲に伊良部島、下地島、来間島、池間島等がある。滑走路2000mの宮古空港と平良港(拡張中)、新港、長浜港(伊良部島)がある。なお下地島に3000mの滑走路(元民間パイロットの養成場。軍用使用不可の約束を復帰前に日本政府と交わした)がある。空自は欲しいに違いない。

 ここへ陸自は、警備隊、対空ミサイル部隊、対艦ミサイル部隊、ミサイル部隊司令部(石垣の部隊も傘下におく)約800名を置く。千代田ゴルフ場跡地に17年10月から建設が始まっている(警備隊370名分)。弾薬庫を宮古島南東部の保良(ぼら)に建設する話が表面化してきたが、他の予定は隠されたままだ。司令部は、演習場は、ミサイルの展開地は?

 この島には空自の第53警戒隊が駐屯している。14年からレーダーを最新式のものに取り替えた。この工事によって、全国各地の空自警戒隊の中でも最新・最大規模のものになった。標高100mの丘の斜面を削り、幾つもの構造物を作り上げ、鉄筋コンクリートで固め、緑色に偽装した。何しろ幅500m、奥域50m、高さ50m(推定)もある場所だから、そこが制御室だけとは信じがたい。ここ野原(のばる)と千代田の距離は1500mにすぎない。その間に農地が広がり人家がある。危険すぎる。

 宮古島周辺には幾つかの島があり、伊良部島にも大橋がかかった。これは住民の便を向上させただろうが、自衛隊も移動警戒隊や移動ミサイル部隊の展開に好都合になった。

 奄美大島は約712平方キロの大きな森の島だ。ここに駐屯地2箇所の建設が始まった。警戒隊、対艦ミサイル部隊、対空ミサイル部隊、約600名だ。私はここには行っておらず、詳細を掴んでいない。

 そして見逃せないのが、沖縄島の自衛隊の配備状況だ。那覇基地(那覇空港)に駐機している陸海空の軍用機の数々。空自は第9航空団のF-15戦闘機が2個隊40機に増強された。早期警戒機も配備された。海自は対潜哨戒機約20機など。陸自はヘリコプター隊など。なお那覇基地(空港)には対空ミサイルが常備されている。陸自は那覇駐屯地に普通科連隊(歩兵)、ヘリコプター隊、偵察隊、通信隊、化学防護隊も駐屯している。他の沖縄島の中部と南部に対空ミサイル部隊を5箇所も置いている。これは米軍基地も守るのだ。以上、沖縄島の陸自2000名+海空自の合計が8500名になっている。

【地域再編の裏側で】

  しかし問題はこれだけではない。佐世保相浦にある「西部方面普通科連隊」600名を水陸機動団約3000名(オスプレイ17機の航空部隊-駐屯地未定、水陸両用装甲車52両余りの部隊を含む)に、沖縄島のキャンプ・ハンセン、キャンプ・シュワブに約2000名の部隊を置く計画だ。

 そして有事の際は、全国各地の3個機動師団、1個機甲師団、4個機動旅団が現地に緊急展開し、共同作戦をとる。以上総計65000人余りの兵隊が動く大戦争になるだろう。

 もしもこうなってしまえば、「地域紛争に止める」という目論見は打ち砕かれてしまうだろう。司令部は市谷にあり、横田・横須賀・朝霞であり、こうしたところも攻撃されるだろう。まして琉球諸島の住民の命は、またもや軽んじられていく。

 また西部方面普通科連隊等の部隊は、これまでも米国海兵隊と共に訓練を行なってきたが、これからも尚一層、共同演習が行なわれていく。彼らの任務は「島嶼防衛」とは裏腹に海外への外征軍に仕立てられていく。海外に侵略する部隊にもなるのだ。

 紙数が尽きた。より詳しい組織再編、演習の中身の紹介は次の機会に譲りたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

2017年10月29日 (日)

17年10月18日東京・世田谷市民講座での報告

◎17年10月18日東京の世田谷市民講座での報告概要です。世田谷市民運動いちのニュースに寄稿

「今、沖縄に関心をもつということ」                              

                             山本英夫(フォトグラファー/名護市在住)

 世田谷市民講座主催で、私の沖縄報告会を開催いただき、感謝です。以下簡単に当日の報告を書かせていただく。

 参加者は約20名。私が呼びかけた人や、辺野古テントの方が呼びかけた人を含めての数字。参加者数が少ないのは、衆議院選挙の真っ最中だから、いささかやむおえない。

 今更、自己紹介は不要と思ったが、未知の方もおられたので少々。私が名護に越したのが4年前の10月。早いもので、また名護市長選の時を迎える。この4年間の感慨はひとしおならぬ。

 今回の企画は、私が8月時点で、年内解散を想定し、10月の報告会を呼びかけた。ズバリ当たりすぎ。この時期を設定したのは、選挙結果をよめていたからだ。沖縄は新基地建設に反対、「日本」は賛成の構図が再現されるだろうからだ。この差別と対立の構造を克服できなければ、万事休すだ。これは沖縄のことばかりを言っているのではない。46都道府県を含む『日本』のことを指している。アジアのことを言っている。

 私は今春、「沖縄から問いかけたいこと」と題して、静岡に行った。これは、ただ沖縄の現状がどうのこうのではなく、一人ひとりが「?」をもつことなしに現状を変えることはできないとみているからだ。その上に立って今回は、一人ひとりが沖縄に関心をもつことがどのような意味を持つのかを話したかった。何故、沖縄は日本の皆さんの問題にならないのか(選挙の争点にならない)、沖縄にお出でいただいても「頑張ってください」と言われてしまうのか。当事者意識がないのだ。安倍政治の根幹は何だ? 安倍政治と掛けて、安保政治と解く。日米安保にあらず、米日安保だ。米国が主、日本は従。沖縄はこの安保政治の正面の舞台なのだ。否、現実だ。

 皆さんは、この現実が見えないから、安保政治が分からず、安倍政治すら分からない。こうした現実の一断面を写真で提示した。日本と沖縄を巡って、簡潔に歴史の異なりを示した。そして今正に行なわれた選挙が次の安倍政治のステージを示した。このままでは私の危惧は当たるだろう。人々の基本的人権と自治権が奪われ、軍事大国が再登場する。今度は米国の下士官としての「大国」が。沖縄はますます基地の島として強化され、この国から無視される。

 繰返すが、こうした動きは沖縄だけの問題ではない。日米地位協定は沖縄限定商品にあらず。日本中を覆い、米軍の自由行動を保障しているのだ。今次の選挙で唯一の救いは立憲民主党の誕生であり、躍進だ。他方で共産党が減ってしまったが。彼らは辺野古問題を0ベースで考えると言っている。しかし本気で沖縄を含む安保問題を直視するつもりがあるのか、まだわからない。

 質疑も色々出された。一歩一歩でも皆さんとの距離が近づくことを私は願っている。是非とも沖縄に来ていただきたい。

◎以下、参照

「171018rezyume.pdf」をダウンロード

2017年9月 3日 (日)

8月12日沖縄県民大会ー「我々は、あきらめない」

◎以下の文は、「世田谷 いち」ニュース17年9月1日号(ナンバー320号)に寄せた文です。

8月12日沖縄県民大会-「我々は、あきらめない」

                     山本英夫(フォトグラファー/名護市在住)

 沖縄県は7月24日、国を提訴した。今回の県民大会は、まさしくこの提訴と云うアクションを沖縄県民が広く集まって支えるのが趣旨だ。

  貴紙前号で既報の通り、日本国・安倍政権は辺野古・大浦湾を物理的に埋立る作業に着手した。去る4月25日、大浦湾側の端、K9護岸から鳴り物入りで始めた。20センチ余りの砕石をクレーンで投げ落とす。汀線から砕石を根固め材として袋に詰めたものを落とし、護岸・道路を造成していく。徐々に石が水面に落とされていく。近くで抗議船に乗っている私たちにもその音が鳴り響いてくる。この作業を私たちは、止めることができない。沖縄防衛局は、これを「仮設道路」だと言うが、埋立ての一里塚であり、サンゴ礁を壊しているのだ(我々の潜水調査で確認済み)。

 こうして6月半ばまでに、約100Mの仮護岸が造られてしまった。設計図では350Mのはずだが、ここで止まった。7月に入り、今度は辺野古側のk-1護岸の建設に着手。7月9日夕方、突然、オイルフェンスが海に張り出された。そして今、このk-1護岸はまだ海に突き出していない。また、N-5護岸も始まった。こちらはほぼ辺野古崎あたり。まだ汀線上をやっている。

 8月12日の大会は、辺野古に新基地を造らせないオール沖縄会議が主催した「翁長知事を支え、辺野古に新基地を造らせない県民大会」だ。45000人が参加と主催者が発表した。特に宜野湾市を占拠するかのようにある普天間基地所属のオスプレイが去る8月5日、豪州で、着艦に失敗し、またもや墜落したばかりだ。沖縄の人々の怒りは、広く高まっている。何しろ、米軍は事故原因の特定もせず、翌日から、宜野湾や辺野古の上も飛びまわっているのだ。これを追認しているのが安倍政権だ。

 会場を埋め尽くした参加者に対して、主催者、関係首長らが発言。名護市長の稲嶺進さんは、「翁長知事が政府に対して孤軍奮闘とも言えるような形で頑張っている。それを支えて、前進させるのは、我々県民一人ひとりの力と、その結束だ。(中略)私も踏ん張るから共に知事を支えよう」と力強かった。

 翁長知事の発言は淡々としていたが、怒りが篭っていた。「(オスプレイの墜落に)憤慨に堪えない。米軍が運用上必要だといえば、(日本政府が)すぐに引き下がる。日本の独立は神話だと言わざるを得ない」と言い切り、「法治国家」といいがたい政府の現状を弾劾しながら、「承認撤回に繋がっていく」と撤回を示唆し、「基地負担の押し付けに反対し、オスプレイの配備撤回、辺野古新基地建設反対、普天間飛行場の閉鎖・撤去に取組んでいく」と明言。一方で、撤回の時期を示さなかった。これは悪辣な政府とのやりとりがあり、こちらの手口を曝すのはマイナスだからだろうが、一抹の不安もよぎる。

 最後にヘリ基地反対協議会の安次富浩共同代表が、オスプレイ撤去の決議文を紹介し、万雷の拍手で確認された。大会宣言は簡潔・明瞭だ。「政府は、法解釈を捻じ曲げ、沖縄の民意を圧殺し続けている。手続きを無視し、法を侵してまで行なう違法な埋め立て工事を即刻中止すべきだ。/私たちは問いたい。この国に真の民主主義はあるのか。法治国家とは何か。(中略)/私たちは、生物多様性を誇る豊かな辺野古・大浦湾の美ら海に新たな基地を造らせない。翁長知事を最後まで支え、地方自治と民主主義・人権を守るため、この不条理に全力で抗い続ける」。

 こうした沖縄の声に、安倍政権は耳を塞いでいる。本紙の皆さんは、じっくりと聞き取り、これは誰の問題なのかを問うて欲しい。皆さんに人権はあるのか。自治はあるのか。これは私からの訴えでもある。(17年8月29日) 

 

2017年7月20日 (木)

この島々が戦場になるのだろうか?-悪い冗談ではすまないぞ

〇以下の文は、「沖縄の怒りと共に」(うちゅなんちゅの怒りとともに!三多摩市民の会」発行 101号に寄せたものです。なお、前の100号に寄せたものの続きでもあります。

http://poyamahide.cocolog-nifty.com/blog/2017/04/post-c15d.html

 

  この島々が戦場になるのだろうか? 悪い冗談では済まないぞ!

                                     山本英夫(フォトグラファー)

 本紙前号に書いた私の文を読んでいただいただろうか。驚かれた方も少なくなかったようだ。私は、琉球諸島を対中防衛網(軍事要塞化)にする基地再編・島嶼奪還作戦について、新基地建設の大いなる根拠になることも含めて、11年秋から警鐘をならしてきた。しかし、私はあまりにも微力で、東京で何度報告会をやっても、パラパラとしか集まっていただけなかった。そして12年、13年のオスプレイの沖縄への強行配備を見て、沖縄へ居を移す決意を固めた。沖縄島で新基地建設にマジに、しぶとく取組んでいるのは、やはり戦争になる危険性を肌で感じているからだ。他方、日本に住んでいる方々の鈍感力はなんだろう。辺野古テントにお出でになる方、ゲート前に座り込む方でも、50歩、100歩だと私は感じてしまうことも少なくない。

 【立ち位置を考え直す】

 本論に入る前に、私はこの点をやや立ち入って考えたい。私を含む所謂「日本人」は戦争体験を忘れ去り、一人ひとりの記憶の中に刻み付けてこなかった。また当時者から聞き出す努力を怠り、聞きだせる関係・環境を作り出してこなかった。誰しも痛切に苦しいことを思い出したくないから、簡単に語らない。こうした中で語ってこられた方は、ものすごい決意と葛藤の中にあったのだろう。

 沖縄戦は「唯一の地上戦」だと言われるが、私が一番惨いと思うことは、被害と加害が同居していたことだろう。沖縄の人々は、皇軍から加害者(米兵等を殺し、肉親や地域の人々を殺す)にさせられ、同時に被害者にされてきた。単に米軍から殺されただけではなかった。今でも私たちの身近にこうした方々が生きているのだ。そして今日まで基地の島の重圧を受けている。

 私たち「日本人」は、再び沖縄の人々を殺す側に回るのか。否、既に回っているのじゃないか。だから私は、こうした「日本人」に、つい「地獄に落ちろ!」と思ってしまう。東京に居たら、感じない。それはコンクリートの上で、華美な街に慣れきっているからだろう。マスコミの情報に操作されているからだろう。コンクリートを引き剥がしてご覧よ。東京大空襲などの弾痕が刻まれているかもしれない。これまで見えないものだと、蓋をしてきたのじゃないか。

 何事も関心がなければ、見えてこない。見えなければ、関心をもつはずもない。こう考えてしまうと、どこにも展望を開けない。どうしたらいいのだろう。実に悩ましい。悩みぬいた私の結論は、私たちが生きるための哲学をもつしかないのではないか。だから生きることに前向きになれる条件を創りださなければならない。だとすると、アクティブに生きる気になれるか否かが地獄に落ちるか否かを分ける分水嶺になるのか。これはとんでもないことだ。貧困や差別の中で、苦しんでいる人たちが地獄に落ちるのでは、これまたたまらないではないか。これもまた不条理だ。

 米国の貧困世帯の若者が軍隊を志願するのも露骨な差別構造があるからだろう。日本でも憲法9条に3項が追加されれば、同様な事態になるだろう。そうなってからでは遅い。要は、戦争か平和かだけでは解けない問題なのだ。そこに差別や貧困、環境との共生を組み込まなければ解けない。右翼のヘイトは国家の枠の中で、なんも考えずにハケ口を用意している。私たちは難しい。自分を問うこと、社会を問うことが避けられないからだ。沖縄との関係を問うことが、差別と向き合い、環境との共生を考えるきっかけになり、未来を考える上で、重要なポイントになるはずだ。

 私たちは60年代から70年代の闘いの中で、多くの間違いを犯してきた。だからと言って、重要な問題も水に流してこなかったか。あの時代を検証しながら、もっと素直に生きあいたい。私の世代は、こうした取り組みを若い世代に継承していく責任があるはずだ。だから私は、今沖縄に居るから、外は知らないと云う態度をとりたくない。

 私はフォトグラファーであって、哲学者ではない。これは、自分には荷が重い。だが微力とはいえ、やっていくつもりだ。沖縄の人々から学び、考える。また、フォトグラファーだからこそ、美しいものを撮りたい。ゲート前や海での攻防よりも、願わくば美しいものを。だが、最近やっと自分でつかんだことがある。人間の尊厳を示すことは、弾圧されても美しさを放っている。人々と権力の両者を対比して見せること。また、真に美しいものは権力が誇示したがる華美とは違う。また、ナショナルなものを超える。美しいものを示す事で、醜い政治を糾したい。美に纏わりつく人間の悪の根性を洗い出す。

 話を戻す。私たち「日本人」は沖縄人と、どうしたら分かち合えるのだろうか。これは単純に闘いの現場に行けば済む話じゃない。両者の歴史に立ち返り、食い違い、差別・抑圧の関係を改めることを避けられない。だとすれば、それぞれの地域の中に潜んでいる身近なリアルから手がけることは可能だろう。一般的な連帯で済む話じゃない。

 【日本政府の島嶼部を巡る認識について】

 前置きが長くなった。沖縄島と先島(八重山、宮古諸島等)と言われる琉球諸島の間にも明らかな差別分断の構造がある。琉球王国の時代からの覇者の島・沖縄島と先島。地理的な大きさの違い。大日本帝国による抑圧の仕方も異なった。沖縄戦を巡る状況も大きく異なる。先島では地上戦は行なわれなかった。ただ多数の皇軍が進駐し、多くの住民はあちこちで強制疎開を余儀なくされた。マラリア渦の中に。やはり軍隊は住民を守らなかったのだ。しかし先島では沖縄戦に対する総括、語り継ぐ努力は弱かった。

 日・米政府はそこに着目してきたのではないか。与那国町、石垣市、宮古島市共に首長は誘致派だ。にもかかわらず、沖縄島でも先島でもお互いを見てこなかった。沖縄島本島の先島差別を克服できていない。漸く最近になって、映画ができたり、何冊かの書物が出版されたが、自分も含めて力不足だった。

 さて、日本政府の軍事政策は「防衛計画大綱」と「中期防衛力整備計画」に描かれている。その詳細については次回にしたい。ここでは概要を示す。日本の軍事政策は2010年の「動的防衛力構想」から大きく変わった。9条の精神を捨て去り、力には力を対置させた。2013年の安倍政権の時代の「統合防衛力構想」は、陸海空の統合力と国家をあげた軍事力にスイッチを切った。特に問題なのが「島嶼部」を巡る軍事化だ。「島嶼部」と称しているが琉球諸島のこと。対中脅威論を梃子に、軍事力の向上を図る。中国の力に対して、常時、監視し、機動力を集中できる体制をつくるそうだ。「島嶼部への侵攻があった場合に、上陸・奪回・確保するため、水陸機動団を新編する」などと勇ましい。このための前進拠点が辺野古なのだ。本拠地が佐世保の相浦駐屯地(周辺)であり、いざとなれば全国から機動運用部隊を差し向ける。北海道の4個機動師団・旅団等、東北、関東、四国、九州に各1個機動師団・旅団。計、3個機動師団、1個機甲師団(北海道)、4個機動旅団だ。こうした部隊の戦を可能とするには「航空優勢」と「海上優勢」を保たなければ、不可能だ。何しろ機動(移動)出来ないからだ。

 こう考えれば、戦場は琉球諸島だけに留まらないことを理解できるだろう。こうした移動の空間、指揮・情報の空間も危ないのだ。琉球諸島が有事になれば日本列島全体が有事になる。それにしても、この国はあの沖縄戦から何も学んでいないようだ。上陸・奪回・確保というが、具体的に石垣島や宮古島などを想定しているのだ。5万人前後の各島の人々の安全確保を、どうするつもりだ(石垣市49078人、宮古島市54264人。両市とも17年5月末現在住民登録数)。住民の暮らしの場が戦場になる。再び住民を戦争に動員するのか、住民を盾にするのか。大いに懸念されるところだ。

 今この国は琉球諸島を再び戦場にしかねない構想を具体化しようとしている。この国はもう一度戦争をするのか。あなたはそこに手を貸すのか?

 差別が戦争を平然と行なわせるのだ。沖縄差別、朝鮮・中国差別、イスラム差別。安倍政権は軍事力の強化にやる気満々だが、これでいいのか。人間が生きるとは、なんなんだろう。 

 

2017年4月 1日 (土)

島の風景が変わる中で-戦場が見える島から、戦場に据えられる島へは、もうたくさんです

○本稿は「沖縄の怒りと共に」100号(うちなんちゅの怒りと共に! 三多摩市民の会 17年3月31日発行)に寄せて書いたものです。

【初めに】

 貴誌100号とのこと、おめでとうございます。しかし継続は力なりとはいえ、単純に喜べません。まだまだ沖縄の問題はしらんぷりされており、それどころか叩かれているのですから。

 本紙読者の皆さんは、沖縄島は遠いですか? これからお話しする宮古島・石垣島・与那国島は遠いですか? 東京~那覇は約1500キロ。さらに那覇~宮古島は約300キロ。那覇~与那国島は520キロの距離があります。しかし今遠いからと言って傍観できない現実が拡がっています。掻い摘んでお話します。

【フォトジェニックな島、与那国島がレーダー基地の島になり、宮古島は―】

  私が与那国島に最初に行ったのは、2011年6月のことでした。理由は、以下の事柄を考えたからです。この国が辺野古に拘るのは、「南西方面重視策」に因るのだろうと。これは2010年末の防衛計画大綱に記されました。基盤的防衛力構想を廃棄し、「動的防衛力」構想を造りだすと。

 周囲が30キロもない、絶海の孤島。人口1500名余り。行ってみたら、小さいがゆえの魅力たっぷりな島でした。海と山と放牧場、人家はきっちりと3つの集落に限定されていました。地球の自転をしっかりと実感できる島であり、太陽光線が頗るいい、フォトジェニック(写真写りが素晴らしい)な島。

 ところが防衛省はここに陸上自衛隊のレーダー基地を造ると言い出していました。住民の反対の声は無視され、昨年2016年3月末に「沿岸監視隊」(160名)ができてしまいました。周辺に建築物が立ち始め、交通量が増えました。それでも海の素晴らしさは変わらない。森も野鳥も蝶も健在です。しかし自衛隊の島になってしまいました。だから安心できません。

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16年3月28日 与那国沿岸監視隊隊旗授与式後、行進する同隊隊員。

 宮古島には72年5月15日以来、航空自衛隊の第53警戒隊(レーダー基地)が置かれています。これは日本の空域を守るためと言われていますが、この来歴をみればわかるように米軍を守るためです。米軍施設を引き継いだのですから。自衛隊が収集した情報はすべて米軍に同時進行で送信されています。

 ここにも陸自の警備隊を新設すると言われています。市長も国と入魂の間柄。問題を大胆に要約すると。

 ①陸自警備隊等(対空ミサイル部隊と対艦ミサイル部隊が主力)の計画の全容は隠されたままです。兵舎等を千代田カントリークラブ跡にといわれていますが、公開されていることはこれだけです。ミサイルの指揮所をどくにおくのか、弾薬庫は、演習場は。ミサイルは移動式ですから、どこに対空ミサイルを置き、対艦ミサイルを置くのか、移動警戒隊の置き場所は?空港と港の使い方は、オスプレイやヘリコプターはくるのか。米軍との連携は?

 そもそも日米政府は宮古島や石垣島を本丸にしようとしています。中国封じ込めのための新たな基地建設であり、島嶼奪還作戦と言っています。もしこんなことになったら、自衛隊はいざとなれば脱出し、再び奪還するのだと。島民を置き去りにして。5万人の住民とさらに観光客の命をどう確保するのかに何も答えていない。無責任の極みです。

 ②そこで俄然怪しくなるのが、先の空自第53警戒隊の改修工事です。ここは宮古島空港から東へ約3キロ。野原(のばる)の丘にあります。標高108mが一番高い地点で90mから100mの狭い尾根が900mほどつらなっています。ここは13年春から改修工事が始まりました。新たなレーダーに換装すると言われていますが、何故これほど時間がかかるのか? 写真を見てください。コンクリートで斜面(地下)が固められています。丘の斜面の横幅500m、高さ40m、奥域50mはあるでしょう。巨大な地下壕ではないでしょうか。ここに前線司令部(陸海空の)を置き、いざとなれば篭城できるようなシェルターなどを建造中だと思います。

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第53警戒隊改修工事中。17年2月28日撮影 千代田地区から。斜面にコンクリートが打ち込まれている。

 彼らは本気です。この島を戦場にしてもいいと。何度も何度もここの工事の進展状況を見てきた私は震えました。やるきかと。

 石垣島や奄美大島もやはり陸自の警備隊と対艦ミサイルと対空ミサイル部隊です。相対大きな島だから何とか演習場も確保できると考えているはずです。尚、演習場ですが、長崎県対馬にも警備隊が置かれており、ここにもちゃんと森の中に演習場が設置されています。

 ③こうした島々で起きる可能性は2つ。(ア)中台戦争に伴う米国の介入です。こうなったら、本格的な潰しあいになりかねません。(イ)日中の偶発的な戦争です。米日は琉球諸島を対中封じ込めの列島防衛線としています。米国も中国も米中戦争にならないように地域紛争に止めたいのです。だから琉球諸島でやるならばやれと。やるのであれば前方は日本国、米国は補完部隊。

 ついでに申しておきますと、米国のグアム再編以降の動きは、この絡みの中での話です。沖縄島は中国から約800キロ。中距離ミサイルが届く。だから地上戦闘部隊に過ぎない海兵隊を沖縄に置き続けることは愚の骨頂。なので沖縄の海兵隊をグアム、オーストラリア、ハワイなどに分散配置したいのです。こうした事情を安倍首相はどこまでわかっていることか。米国に依存しながら見境なく突っ込みかねないから怖いのです。その前に私たちが彼らの「火遊び」を禁じなければなりません。

【今私たちは如何なる途上に在るのか?】

 もしも琉球諸島で戦火が開かれ、奪還作戦が始まれば、東京も火の海になりかねません。何故ならば、島嶼を攻撃する際は航空優勢、海上優勢を取らなければ、攻撃できないからです。裏返せば、司令部が攻撃されます。横田であり、横須賀であり、市谷です。

 軍事力で覇者になるという発想を私たちが克服できなければ、世界の人類は終わります。私たちは、覇者に近いところにいるからこそ、中東やアフリカの地域紛争、民族差別、難民問題など見ようとしてこなかった。このまま行けば、私たちも地獄に落ちる。

 美しくないエピローグになってしまいました。命どぅ宝の魂を共有できると信じます。諦めることなく頑張りましょう。(17年3月24日)

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