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書評

2017年11月25日 (土)

「かって10・8羽田闘争があった」を読んで

 私も50年前の67年「10・8」を、山崎博昭君の死を、忘れがたい記憶として抱いてきた。当事の私は高校1年生であり、私の視野に反安保・ベトナム反戦は未だ入っていなかった。私が没頭していたのは67年春から「新浜」運動という、東京湾江戸川河口に広がっていた日本列島最大規模の干潟-野鳥の渡来生息地-を守る運動だった。だからこの10・8の報を私はテレビや新聞から間接的に聞き読んだのだと思う。

 それでも私の心がざわついたのは、佐藤首相のベトナム訪問のために、この国は一人の若者を虐殺し、反対の声を潰してでも強行するものなのだと、当事の日常感覚からは信じがたい現実に驚ろかされたのだった。当事の私は、これ以上の確たる記憶はないし、反戦デモに出ることもなかった。

 私がベトナム反戦・反安保の闘いに直接参加するようになったのは、70年安保の時からだ。当事の日本は高度成長のど真ん中にあり、「経済成長」「開発」が、にぎにぎしく語られていた。自然保護など「趣味の世界」と笑われもした。当事の私は、経済と政治を串刺しにする思考法をもちえていなかった。何故大国のアメリカはベトナムに介入し、ベトナムの人々を殺しまくるのか、生活基盤の根っこから奪い尽くすのか。私には、ベトナム反戦は余りにも当然に思われた。戦争を支える安保体制に反対するのは、若者の常識だった。このとき私は、3年前の山崎博昭君に対する権力の虐殺を思い出さざるをえなかった。3年経って、自分が山崎君が殺された年齢になっていたのだ。

 【50年後の追悼とは何をすることなのか?】

 何を今更追悼するのか。同窓会と違うのか。確かに多くの論者が山崎君を悼み、当事を振り返り50年後の今を記している。だがしかし、50年後の追悼のためには、もっと真摯な総括が必要なのではないか。ここまで反戦運動や学生運動が退潮し、今正に改めて日本が戦争に打って出る態勢を整えてきたとき、このままでは山崎君に顔向けできないのではないのか。展示会を開催し、モニュメントを設置し、本書等をまとめたことは、追悼の現れであることを私も否定しないが。

 私のような「遅れてきた青年達」は、当事弁天橋に居なかった。だからこそ、先輩達に対して、このおとしまえをどうつけてきたのか、つけているのかと、問いたくなる。故人を追悼する中で、どれだけの歴史・社会認識を獲得してきたのか、できなっかたのかが、厳しく問われているはずだ。分厚い本だけに、物足りなさが残るのだ。これはないものねだりなのかもしれないが。

 【ないものねだりかもしれないが】

 私のこだわりからすれば、当事のベトナム反戦の中に、米日安保態勢がどうかかわっており、沖縄に何を押し付けてきたのか、何故沖縄に無関心のままだったのか、この問題を欠落させていたことが、殆ど振り返られていないのだ。羽田から佐藤が飛び立つ裏面で沖縄から連日ベトナムに猛攻撃していたのではなかったか。米国政府は安保政治の中で、沖縄と日本を使い分けていたが、米軍・太平洋統合軍がベトナム戦争をしかけていたのだ。私たちはベトナムの悲惨・悲劇を見つめ、加害責任を問いながら、米日政府の侵略の実像に何処まで迫っていたのか。韓国の若者達がベトナムに派兵されていた一方で、日本の若者達は、日本国憲法に守られながら反戦運動に邁進できたのだ。だが、その憲法への評価を私たちはさぼっていた。否、過小評価に終始していたのだ。

 もっとも60年安保での樺美智子さんへの虐殺、67年10月8日の山崎博昭君の虐殺は、安保政治が憲法に深い傷をつけたのだ。

 もうひとつの大きな欠落は、この50年間の運動の歴史的な総括、継承、克服すべき課題の整理もされていないのだ。若者の政治への無関心を作り出したのは、この年代の人々の責任が大きいはずだ。「内ゲバ」政治に、政治の軍事化、人と人の繋がりを無視・解体した党派政治。こうした現実の重さは計り知れない。当事の若者達が、こうした政治の誤りを正面から総括せずに、若者達を詰っても、「お前は何をしてきたのだ!?」で終わってしまう。

 私が本書を通じて学んだことに、3派系全学連(革共同中核派・社青同解放派・社学同【ブント】の3派が合同して結成した全学連)は結成当初からヘゲモニー争いに走り、分裂と抗争に激しく揺れていたとあったことがある。67年の時点で既に「内ゲバ」が表に滲み出ていた。そもそも最初からこうだったのか、私は驚きを禁じえなかった。この問題については、総括的に論じている人が数名いるが、そうだったで終わっているのだ。議論よりも自党派絶対化のヘゲモニー争いによる勢力の拡張主義をどう考えてきたのか。

 【この先のこと】

 さてどうしたら前に進めるのか?沖縄は非暴力の闘いを手段としているが、手段である以前の人と人の関係性が重要だと思料する。非暴力の闘いの綻びを克服し、若者達にも開かれた関係を作り出すためには、まだまだやるべき課題が残されているだろう。このためには、他人を批判する前に、日々わが身を見直す事が重要だろう。

 もうひとつ感慨を述べておく。かって20歳になったとき、ある種の感慨を覚えたが、50年を語れる今、来し方を考えれば、かっての若者より歳を重ねてきた分、多少マシになっているはずだ。若者と対等な関係で議論できる方法を編み出していきたいものだ。こういうと「10・8」の闘いから遠いようだが、足下を鍛えなおさなければ、前に進まないことを私は確認しておきたい。

◎データ 

「かって10・8羽田闘争があった-山崎博昭追悼50周年記念[寄稿編]

2017年10月8日 第1刷

編集:10・8山崎博昭プロジェクト

編集人:佐々木幹郎

発行:合同フォレスト㈱

発売:合同出版㈱

定価:3900円+税

2017年9月 6日 (水)

「金ちゃんの少年時代-アメリカ軍基地のあった朝霞」

「金ちゃんの少年時代-アメリカ軍基地のあった朝霞」絵と文:田中利夫 ㈱ジーズバンク 1000円+税

 不思議な本である。『金ちゃんの少年時代-アメリカ軍基地のあった朝霞』は紙芝居だったものを本にしたので、絵が満載だ。著者は、1950年前後の埼玉県朝霞での記憶から当時の様子を絵と文で綴っている。1952年4月28日以前は占領軍、以降は駐留軍と名前を変えたはずだが、アメリカ陸軍が闊歩していた朝霞の街。

 何が不思議なのか? 米軍がいたことで、あでやかな印象。憧れの文化や、かっちょいい少年野球との出会い。きらびやかな娼婦達の姿も金ちゃんには羨望の的。米軍駐留のプラスイメージがこの本の基調かなとも思うが、そんな意図があるわけではなさそうだ。「混血児」のことも指摘されており、さりげなく、当時の差別的な視線を問題にしている。

 本書の利点は、絵と文で、当時の風俗が丁寧に書き込まれていることだ。どんなお店があったか、職業の人がいたか、遊びがあり、自然がったかなど。これは少年が見た地域史として貴重だろう。

 ただあちこちに(本書のキーワードのよう)「娼婦」がでてくるが、確かに「パンパン」や「オンリーさん」と比べたら分かりやすいかもしれないが、やはり分かりにくい(今の大人が読めば、言葉だけが独り歩きしかねない)。本書は、少年時代の著者がどう受け止めていたかであり、憧れとしての米兵と娼婦になってしまうのだろう。

 子ども時代の遊びでは、私も知っているような光景が描かれている(私は東京の片田舎世田谷住まいだった)。だから郷愁を誘われるといいたいところだが、これは、私にとっては、既に残像風景すら失われており、懐かしがることすらできない。だから、「城山の四季」(絵)ぐらいが、いささか抽象的であろうとも、却って好感を持つのかもしれない。

 具体的に描かれていることのリアルと、失われていることのギャップが大きすぎて、私はいささか呆然としてしまう。著者は、風景の形は変われどもその場に居ながら紙芝居をやってきたので、時間を飛び越えているのだろう。

 本書にはピンクが多用されている。ここに著者のこだわりがあるのではないのか。学校でお互いにお弁当を隠しながら食べていたという時代にあって、ピンクは憧れのピンクであり、悲哀のピンクなのじゃないか。 

 ここでいささか強引に私の問題意識を出してみよう。「憧れの米兵」という関係意識は、今の沖縄にすら、一部にあるようだ。こうした意識を払拭するためには対等な関係になる以外にないが、だとすれば軍隊という特権集団にお引取り願うしかないはずだ。事件・事故をごまかす日米関係も変えなければならないことも、言うまでもない。

 ところでこの72年間、沖縄以外の「日本」では、この差別的な意識をどのように変えてきたのだろうか。これは、官公庁を別にした市民レベルの関係意識も、疑問符だらけだ。これは沖縄に居を移した私の核心的な拘りだが、「金ちゃんの少年時代」を読んであらためて考えさせられた。

 ここでもうひとつ追加しておきたい。朝霞の米軍基地はなんと1986年までその一部があったということだ。正直に言って、これには驚かされた。横田基地等との絡みで、基地機能が動いていたようだ。(17年9月6日)

2017年9月 5日 (火)

「ぼくたち、ここにいるよ」

◎カテゴリーに「書評」を加えた。お楽しみに。

第1冊目は、以下。

「ぼくたち、ここにいるよ ー高江の森の小さないのち」写真・文/アキノ隊員 影書房刊 1900円+税 17年8月刊

 アキノ隊員の愛情一杯の自然観察入門

 頁を開くと「高江・安波の森へようこそ!」とあり、宇嘉川の支流の流れが、森が見えてくる。「アキノ隊員」って誰?と思う人にも簡潔な自己紹介があり、読者はあっという間に森の中に、新川川、宇嘉川に誘われる。

 そしてアキノ隊員自慢のリュウキュウウラボシシジミの登場だ。そこに一目で覚えることができるほどの鮮明な写真が輝いている。

 本書はただの図鑑ではない。ただのフィールドガイドでもない。昆虫などの生態と行動をアキノ隊員自身が自然の中で調べて提示しているから説得力がある。そうなんだということが、満載なのだ。また、自然の中で疑問を持つことが次の観察のステップになることも示唆してくれる。

 特にアキノ隊員は動画から写真をあげている。だから本書は、時間の変化に沿った記録になっている。瞬時の変化を逃さずわくわくするような発見が尽きない。

 オオシマゼミの「キーン、キーン、キーン」の声を引き、メスに向かって鳴いているという正調な話に併せて、アキノ隊員は人間こそが自然の声を、叫びを聞きとれよと訴えている。

 出てくる生物は、チョウ、甲虫、トンボ、ヘビ・カエル、野鳥の仲間。種も多岐にわたっているが、観察すべき環境もあちこちを探っている。葉の中、朽木の中、水の中など私たちが見過ごしやすいところにも目を向けている。

  高江といえば、米軍演習場が占拠しており、ヘリパッドの問題は避けて通れない。現に工事で自然が壊されてきた。アキノ隊員は、ただの自然観察者じゃない。未知なるものを探り出し、次の世代に手渡していく責任を自覚している。だからこそ、政治の動きにも傍観しない。私がアキノ隊員のファンなのは、こうした自然観察者が沖縄でも少ないなかで頑張っているからだ。

 高江・安波の自然をまもるために、未知なる自然を守るために、一人ひとりがアキノ隊員に続く道を歩みだそう。「ぼくたち、ここにいるよ」を受け止めるのは、私たち一人ひとりだから。

 尚、コラムに高江・安波の森を歩くときの諸注意が丁寧に書かれている。これも忘れずに読んででかけよう。もうひとつ。アキノ隊員のブログ「アキノ隊員の鱗翅体験」も必見の価値あり。

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